やはり野に置けれんげ草

【漢字】やはり野に置けれんげ草
【読み】やはりのにおけれんげそう
【意味】野原に咲くからこそ、れんげ草は美しく見えるものであって摘んで生けてもいずれ枯れてしまうもので、その場に合った物を置くのがよいとされる。
【例文1】部屋の一角に1つアンティーク品を置いても、やはり野に置けれんげ草で高級感が出ない。
【例文2】古小屋に高級外車を止めてもやはり野に置けれんげ草だ。
【例文3】4畳半の部屋に50型TVはなんだか野に置けれんげ草。

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高級ベッドがやはり野に置けれんげ草

やはり野に置けれんげ草とは、れんげ草は野原に咲いているからこそ綺麗に見えるものであります。摘んで持ち帰ってもいずれ枯れてしまいます。やはり自然に咲いているものが美しいという意味です。
私は大学進学のために実家を離れて初めて一人の部屋を持つ事が出来ました。ずっと妹と同じ部屋だったので嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
隣県でしたので、引っ越しの時は自宅にある余った家具や電気製品を軽トラックでお父さんと兄と運びました。ベッドだけは毎日寝るものですから妥協しないで収納・電気付き、お姫様のようなベッドを購入しました。マットレスも最高級なものをおねだりしました。6畳という狭さでしたが、オートロックに7階からの眺望、出窓もあって私にはお城のように感じました。何をどこに置くかとかあれこれ考えるだけでもワクワクしました。いったん荷物を運び終えて思った事は、新築のマンションに私が持ち込んだ家具はベッド以外なんだかしっくりこないということに気付きました。ベッドだけが浮いて見えて持ち込んだ家具の色、デザイン性の統一がないのです。やはり野に置けれんげ草だと思いました。

「やはり野に置けれんげ草」について

いろいろな場面で「やはり野に置けれんげ草だよ」と言って揶揄することがあります。
この言葉の元々のものは、ある俳人の句だということはあまり知られていないのではないでしょうか。
その俳句とは『手にとらで矢張野に置け蓮華草』というものです。
この俳句の作者は滝野瓢水(たきの・ひょうすい)という人で、松木淡々(まつき・たんたん)の門下生で江戸時代の中期に活躍しました。
俳句では芭蕉が有名ですが、松木淡々はその弟子の其角(きかく)の門人であったということなので、滝野瓢水は芭蕉の孫弟子ということになるでしょうか。
この句の意味は、どんなに愛らしく美しく咲いているレンゲソウであっても、その花を摘み取って持ち帰ってみると、咲いていた時のような魅力は無くなってしまうということです。
野に咲く花は花の命も短く、その花が素敵に見えるのはその周囲の雰囲気があってこそということ。
無理やり摘み取ってしまっては元も子もない。
野に咲くままに鑑賞することこそ本来の美しさを愛する人のすることだと教えているのです。
現代では野党として勢力を誇っていた民主党が、政権を取り主役に躍り出たあとの凋落ぶりを「やはり野に置けれんげ草」と表現する人もいます。