我が仏尊し

【漢字】我が仏尊し
【読み】わがほとけとうとし
【意味】
【例文】

我が仏尊しをテーマにした記事

「我が仏尊し」では幸せになれない

「我が仏尊し」とは、自分の信じるものだけをやみくもに大切にして、ほかの物を顧みない狭い心の状態のことです。そのような心掛けでは、ほんとうの心の豊かさや幸せを手に入れることなどできません。たとえば、自分の働いている会社が一番素晴らしい、社長の考えがすべて正しいと思っている会社員は、上に言われたことは何でも正しいと思って疑いません。そのような会社員はたとえ間違った指示でも訂正することなく従うので時間とお金の損失を招きます。やがて、会社に都合の悪いデータを隠したり改ざんしたりすることにもつながるでしょう。これでは会社をよりよくするアイデアなどまったく出るわけがありません。会社にとっても、取引先やお客さんにとっても損です。本人も成長することができず、一生会社の言いなりで出世することも給料が上がることもできないでしょう。それに会社が潰れてしまったら、共倒れになるしかありません。これは国の組織にも同じことが言えます。また、家族や恋人、友人関係においても同じです。親の言うことは何でも素晴らしいと思って自分で考えずに生きてしまったら、親が死んだときにその人は自分がどうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまいます。親を超えることもできません。ひとつのことを妄信せず、様々な考えを取り入れることが大切です。

「我が仏尊し」状態だった私の学生時代

「我が仏尊し」という言葉をご存知でしょうか?
私はこの言葉を正直、今まで聞いたこともありませんでした。
自分の教養を高めるためにも、この言葉について調べてみました。

「我が仏尊し」とは、自分の良いと思っていることが他のどんなものよりも優れていると思い込む、ということの例えです。
優れているものを「仏」と例えているのですね。

ふとこの言葉を知って思い出したのは、過去の自分の性格のことでした。
私は自分で言うのも恥ずかしいのですが、中学生の頃は比較的頭が良い方だと思っていて、自分の考えることは正しいと思っていたのです。
まさに「我が仏尊し」といった状況だった訳ですね。

しかし、高校生になってアルバイトを始めたことをきっかけに、自分の知らない世界が沢山ある、ということに気付きました。
それと同時に、自分より優れた考えを思い付く人は沢山いると思い知らされたのです。

その頃の自分を思い返すと、なんて傲慢だったんだろうと恥ずかしくなります。
しかし、そうした経験があるからこそ、常に上を目指していこうとする姿勢が身に付いたのだと感じています。

「我が仏尊し」の考えでは、限られた範囲の思案しかできず、成長には限界がある、ということに気付かされた私の体験談でした。