千里の馬も伯楽に逢わず

【漢字】千里の馬も伯楽に逢わず
【読み】せんりのうまもはくらくにあわず
【意味】
【例文】

千里の馬も伯楽に逢わずをテーマにした記事

どんなに才能があっても見つけてもらわないことには千里の馬も伯楽に逢わずで芸能界では成功できない

「千里の馬も伯楽に逢わず」ということわざは、「せんりのうまもはくらくにあわず」と読みます。
意味は、一日に千里(一里は約3.9キロメートルなので、だいたい、3900キロメートルといういことになりますね。)を走ることができる素晴らしい馬は結構いるものだが、残念ながら、一日に千里を走る馬を見わけことができる人がいつもいるとは限らないということです。
つまり、才能ある人は世の中にはたくさんいるが、その才能を発掘できる能力がある人が少ないという意味で使われています。

これって、まさに芸能界のことですよね。
芸能界には、ものすごく容姿の整った人、演技の上手な人、声のきれいな人、司会をうまく進行することができる人、ニュースを伝えるのが上手なアナウンサーなどはいっぱいいますが、その人達のすべてが脚光をあびるわけではありません。
例え才能があったとしてもその才能をわかって、引き出してくれる人に会わないと芸能界で成功することはできないですよね。

芸能界で必要なのは自分を見出してくれる人に会うというラッキーさが必要ですよね。
そういった意味では、先日、キムタクと工藤静香の娘さんが親の名前を大々的に前面にだして、モデルデビューを飾りました。
やはり、そうやって、使えるものは使って自分を見出してもらわないといくら才能があったとしても、芸能界で生き残れないので、私は親の七光りと言われたとしても、いいデビューの仕方だと思いました。

千里の馬も伯楽に逢わず、 どころか伯楽になるべき人が馬を潰してどうする!

千里の馬とは千里もの長い道のりでも駈け通せる程の名馬の意で、伯楽は数多くの馬の中からそんな名馬を見抜くことが出来る人物の事です。
千里の馬も伯楽に逢わずとは、名馬は必ずいる筈だけれど、名馬を名馬に為し得る伯楽に出会う事がなかなか無い、という意味の諺です。
つまり才能溢れる人材も、その才能を見つけて引き出してくれる人物との出会いが少ない事を言い表しています。

某大学のスポーツチームの監督・コーチが選手の一人に、ライバルチームの選手を、単なる言い回しや例えではなく「潰せ」と命令した事件で世情が騒然となりました。

若い選手たちには将来、その世界を担っていく人材となる可能性を秘めています。まさに「千里の馬」が彼らの中にはいる可能性があるのです。
監督・コーチという地位にある人達の本来の責務の一つは、「千里の馬」の発掘・育成の筈。即ち、彼らは伯楽にならなければならない人達なのです。
この諺の如く伯楽に逢う事が少ない中で、己が伯楽になるどころか、逆に、潰そうとしたライバルチームの選手のみならず、自軍の選手の将来を台無しにする様な指導を行うなどは言語道断と言わざるを得ません。

伯楽は、千里の馬を見出す名人ではありましたが、病気の馬の治療を施す名医でもありました。
百歩譲って、彼らは彼らなりの方法で千里の馬を見つけ出そうとしたのかもしれませんが、その方法は故障した馬は使い捨てるという非情なものでした。
病んだ馬を立ち直らせる名医では決してなかったという事です。
その意味でもこの監督・コーチ達は楽伯では絶対あり得ず、その責務を鑑みても指導者としては100%失格といって良いでしょう。