仏も昔は凡夫なり

【漢字】仏も昔は凡夫なり
【読み】ほとけもむかしはぼんぷなり
【意味】仏も昔修行を積む前は凡人であったたとえから努力によって立派になれるという意味。
【例文】仏も昔は凡夫なりというから諦めるな。

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「仏も昔は凡夫なり」の意味・語源

「仏も昔は凡夫なり」
仏教の祖・ブッダもかつてはごく普通の人間だった、という意味です。

この言葉は平家物語の一節で、
「仏も昔は凡夫なり
 われらもつひには仏なり
 いづれも仏性具せる身を
 へだつるのみこそかなしけれ」
とつづきます。

平家物語の中では、二重の意味をもった歌として登場していますが、
シンプルに訳すのであれば、
「聖人ブッダもかつてはごく普通の人間だった。
 私たちも死ねば仏になる。(※仏教では死ぬと仏になるとされています)
 ほんとうは誰もが仏となれる本性をもっているはずなのに、
 大きな隔たりを感じるのが悲しい。」
となるでしょうか。

現代風に言い換えれば、
「どんな偉人も初めから立派だったわけではない。
 さまざまな努力を重ねて秀でた人になったのだ。
 私たちの中にも、同じように努力する力は備わっているはずなのに、
 自分はそんな可能性から隔てられているように感じる。」
ということになるでしょう。

三行目までの「人間はだれでも同じようにうつくしい可能性をもっている」という思いと、
最後の「いま、自分だけはそこから隔てられているような気がする」という気持ちが、
悲しく響きあうような詩です。

「仏も昔は凡夫なり、われらもつひには仏なり」。
その言葉がどんなに真実でも、
わたしたちもこんなふうに「隔て」を感じることがあるかもしれません。
「隔たり」の正体とはいったい何なのでしょうか。
もしかしたら、それを問うてみることから、糸口が見えてくるかもしれません。