付和雷同

【漢字】付和雷同
【読み】ふわらいどう
【意味】自分の意見がなく他の人の意見ばかりに賛成する。
【例文1】取り引き先との接待は付和雷同で同席する。
【例文2】付和雷同の接客トークに入る。
【例文3】無難に付和雷同で終わらせる。

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「付和雷同」だな~と思えること

動物園などでペンギンの集団を見ていると、陸に上がっているときに水のあるところに入ろうとするときに面白い習性があるように思います。
それは集団で水際に押し掛けていながら、なかなか飛び込もうとせずにいます。
そしてその中の一匹が意を決したように、水に向かって飛び込んで行くと、その他のペンギンも慌ててそれにつられて飛び込んでいきます。
一匹ずつというのではなく、ほんとうに何はさておき飛び込まなくてはという感じ。
これこそ「付和雷同」というのを目の前に見て、毎回おかしくなって笑ってしまうのです。
人間の世界にも「付和雷同」だな~と思えることがよくあります。
それはテレビのいろいろな番組で感じられることです。
ひとつの番組で取り上げたニュースを、同じ視点・同じ切り口で伝えるのですから、ペンギンとあまり変わりがありません。
芸能界などで何か事件があると、どこかの番組がそれを取り上げ、その他の番組が次々にそれに従って同じような内容で報道をします。
誰かが失敗をすると、同じ芸能界にいるタレントがその失敗についてああだこうだと意見を言うというのが最近のテレビのバラエティ番組のスタイルです。
やり玉にあげられる人もまた次々と現れるから不思議です。

付和雷同せずに自分の意見を述べよう

大人になるにつれて自分の意見をきちんと発言せずに、不和雷同して顔色をうかがう人が増えたように感じてしまいます。

周りに合わせるのが処世術なのかもしれませんが、同時に自分たちの首をしめているようにも思えて私は気持ち悪いです。

古いしきたりで、伝統なのか知りませんが効率の悪い方法でやっているのであればそれは改善したほうが結果的に効率があがるでしょうし、意見を求められて「〇〇さんと同じです。」とか多数派と同じにしておけば間違いないだろうという考えがよくないと思います。

ビジネスにおいてもそういう周りの反応を気にしてたら新しいことってできないと思うんです。

政治なんかも不和雷同と言えるんではないでしょうか。

有権者の若者は選挙に行かない、行くのは高齢者がメインであるがために高齢者に好かれるマニュフェストを掲げる。

TPPや年金問題がそれですよね。

高齢者の望む意見に不和雷同すれば選挙はいいのかもしれませんが、それじゃいけないと思う人はいないでしょうか。

付和雷同したマニュフェストなんか掲げられても求心力がないと思います。

人の顔色をうかがうばかりではなく、自分の意見をしっかりと言える大人に私はなりたいと思っています。