文武両道

【漢字】文武両道
【読み】ぶんぶりょうどう
【意味】勉学とスポーツの両方が優れている。
【例文1】文武両道を目指す。
【例文2】進学校に通いながら国体出場だなんて文武両道だ。

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一人息子に望むのは「文武両道」です!

もうすぐ8歳になる息子は、大のサッカー好きです。あえて好きにさせたところもあり、1歳の誕生日に小さいサッカーボールをプレゼントし、いつも公園に行ってはボール遊びをさせてきました。実は夫が学生時代にサッカーをしていたので、息子にはできれば選手レベルになって欲しいと願っています。ただし強制すると逆に嫌がるようになる例もあるので、自然に気が付いたらサッカーだ大好きだったという風にしたいね、と1歳からじわじわと用意していた感じです。ただし、私の望みは文武両道。いわゆるスポーツバカにはなってほしくありません。夫は、今の世の中は何かに秀でていればそれでよし、サッカーに秀でていれば学校の成績なんてどうでもよい、という考え。でも母親としては、学校の成績もできればトップクラスで、かつスポーツ万能だったり、何かのスポーツに秀でている、というのに憧れるわけです。女性はそういう男性を好むからなのかも知れませんが。学業とスポーツの両立、これは学年があがるにつれて、ますます難しくなると思います。既に息子は宿題が嫌いで、とにかく学校から帰ったらおやつを食べて外でボールを蹴りたがるくらいサッカーにはまっています。憧れの文武両道、夫婦の中での統制がとれていないと息子も困ると思うので、いちどちゃんと夫と話し合わないといけないと思っています。

文武両道を実現できてこそ

学生時代、部活動で弓道に打ち込んでいたのですが、高校と大学では大きく異なることがありました。それは、自分で練習時間をコントロールする必要性に関することです。高校では、勉学、つまり授業に出ることが重要で、部活はその次という考え方が当たり前でした。ですから、授業をサボって弓道の練習をしている生徒はいませんでしたし、もしいたら先生に呼び出され注意されていたことでしょう。あくまで、授業外の時間を自分でやりくりして練習するという考えを誰もが持っていました。ところが、大学では授業に出ようが出まいが、全ては自己責任です。弓道に打ち込み過ぎて、出るべき授業に出ずに道場にこもる先輩がいました。練習時間はいくらでも確保できますので、弓道の腕は確かに上達します。でも、本当にそれでいいのだろうかと思いました。そこで浮かんだのが文武両道という言葉です。
限られた時間の中で、いかに集中して練習するかということが大事なのではと感じました。やるべきことはやったうえで、弓道にも精を出す。それこそが目指すべき姿なのだと思います。実際、弓道に打ち込み授業をおろそかにした先輩は、留年していました。これでは文武両道とは言えません。自分で自分の生活をコントロールすることも、武道を志す者としては重要なのです。

文武両道のプレッシャー

私が通っていた高校は、地元ではそれなりに名の知れた進学校で、スポーツも盛んだったので自他共に「文武両道」をうたっていました。
学生時代も卒業してからも、母校を聞かれてその高校の名前を答えると、「文武両道で素晴らしいね」「〇〇ちゃん文武両道なのね」といつもうらやまれたり褒められたりしました。
でも私は、そう言われるたびにいつもつらく気まずい思いをしていました。なぜなら、私自身は文・武ともにまるっきり苦手だったからです。受験の時は補欠合格でなんとか入学できましたが、授業には全くついていけず成績はいつも下から数えた方が早いほど。毎日ちゃんと授業には出ていたのですが、サボりがちな不真面目な同級生に混じって、補習を受けるのが毎回のことでした。部活も、初めは張り切ってバスケット部に入りましたが、補欠にすらなれず早々に退部。一応美術部に籍だけ置いて、なんとなく過ごす日々でした。
「文・武どっちもなんて贅沢は言わないから、せめてどっちかだけでも得意だったらなぁ」といつも思っていましたが、世間ではそんな風に見てくれません。みんな好意で言ってくれているのは分かっていましたが、実際の自分とのギャップにいつも鬱々としていて、今でも「文武両道の…」と自分から言う人にはちょっと苦手意識を持ってしまいます。