話半分

【漢字】話半分
【読み】はなしはんぶん
【意味】話の半分は嘘や大げさが多いので半分聞いておく。
【例文1】嘘っぽいので話半分で聞いとく。
【例文2】上司の話は大げさで話半分だ。

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姑の話は話半分に聞くくらいで丁度良い。

夫の母親、つまり私の姑はとにかく話が大きいので有名です。本人は全く悪気がなく、話を大きくしている気もないのですが、まともに聞いていると後で「え、あれって希望的観測な話だったの?」とか「え?もっとたくさんの人が来るんじゃなかったの?」とか驚かされる事があるので、話半分に聞くくらいが丁度よいと、結婚1年目で学びました。例を挙げると、結婚当初、姑から言われたのは「マイホームを買う時には私が援助するからね」という言葉。お義父さんが残したお金もあると聞いていたので、かなりあてにしていたのですが、ふたを開けてみると微々たるもので、それを使ったら将来の生活どうするの?という金額でした。また、「孫が生まれたらすぐに手伝いに行くからね」と言われて、これもかなりあてにしていたのですが、習い事だの友達のランチだのを優先されて、手伝いに来てくれたのは生まれて1ヶ月の間に2日だけでした。夫はさすがに自分の母親の事を良く知っているので、姑が何か言い出しても、ハイハイという感じで聞き流していたり、真に受けている私のそばに来て「話半分にな」と耳打ちしていくのですが、慣れないうちはすぐに信じてしまっていました。今のところ、話半分に聞いていれば実害がないのですが、ちょっと姑の将来が心配だったりします。

話半分

今一つ信用のおけない人の言う事を鵜呑みにせずに聞く事を「話半分」と言います。「あいつのいう事はいつも大袈裟だから、話半分で聞いておけばいい」や「彼女の話は半分もアテにならない」など、信頼に欠ける場合の気持ちの有り様でもあります。人によって尾ひれが幾つも付いたり、今で言う「話を盛る」など全部嘘ではないにせよ、小指の爪位の事を原型が判らない話にしてしまう時があるのです。そういう話こそ大体半分だけ信じれば良い位の気構えで聞いておけば、あまり差し支えはないと思います。諺の「逃がした魚は大きかった」などはまさにそういう事なのです。小さな魚を恰も大物が掛かった風に話し、大物過ぎて釣り上げられなかったと言われても、その光景を誰も見ていなければ信用する事は出来ないのです。どっちつかずな話ならまさに「話半分」信じれば良いですし、相手を必要以上に蔑む事もしなくて済みます。「話半分」な事を言う人も、決して悪意を以ってそんな話をしている訳ではないでしょうし、只単に話を盛り上げる演出でしかないのだと思います。中には悪気なく全くのデタラメ話をする輩もいますが、そういう人はハナから誰にも相手にされていないでしょう。くれぐれも自分が「話半分」なヤツと思われたくはないものです。