日陰の豆も時が来ればはぜる

【漢字】日陰の豆も時が来ればはぜる
【読み】ひかげのまめもときがくればはぜる
【意味】
【例文】

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「日陰の豆も時が来ればはぜる」とは言うけれど。

10代の頃から漠然と感じていたことですけど、どうも自分は同世代の人々と比べて精神年齢が低いように思えてなりません。
いつまでも人見知りで自分の意見をはっきり言えなくて、感情を上手くコントロール出来なくてイレギュラーな事態が起こるとすぐに動揺して。
20代くらいまではそのうち自然と精神年齢も上がっていくだろうと楽観的に考えていましたけど、30代に突入するとさすがにそう悠長なことも抜かしていられず。
小学生の頃は30代の人ってすごく大人に見えていました。だけど今客観的に見た自分はかつて思っていた大人像とは程遠くて情けなくなります。
どうして自分はこうなってしまったのか。本当はもっと堂々とした、いかなる時も冷静な人物になりたい。一本芯が通ったどこに行っても恥ずかしくない人間になりたい。
こうも精神が若いのは、経験不足なのか。それとも生まれ持った性質や育った環境に原因があるのか。そしてこの先改善することは出来るのか。
もう「日陰の豆も時が来ればはぜる」なんて言っていられる年でもないと思うんですよね本当に。成長期なんてとっくに通過していますし。
むしろ日陰の豆の方が私よりも成長が早いんじゃないかとさえ思います。私なんて日陰の豆どころかドブの中に落ちた豆なんじゃないだろうか。
ある程度の年齢までは自然に成長を任せても良いかもしれないけど、体がもう若くないと感じたらぼちぼち危機感を持った方が良いと思います。
そうしないと、心が成熟する前に年老いて死んでしまいそうだから。生まれてきたからにはちゃんと大人になりたいじゃないですか。体も心も。