石の上にも三年

【漢字】石の上にも三年
【読み】いしのうえにもさんねん
【意味】石の上に座ると冷たいが長く座っていれば温かくなるもの。我慢強く耐えればいつかは報われるという意味。
【例文1】石の上にも三年と言うからもう少し頑張ってみよう。
【例文2】石の上にも三年で想い続けた彼女と結婚する。
【例文3】石の上にも三年でようやく一人前だ。

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「石の上にも三年」どころの苦労ではなかった長谷川等伯

「石の上にも三年」とは「石の上にも三年いれば暖まるとの意味から辛抱すれば必ず成功する」との意味です。桃山時代に築かれた桃山文化、その代表格が狩野派と呼ばれる、叶永徳が率いる絵師集団です。その狩野派としのぎを削って活躍したのが長谷川等伯でした。長谷川等伯は武士の家に生まれましたが、絵の才能を買われ仏画を描いていた長谷川家に養子として入り、後に娘婿となります。実家のごたごたに巻き込まれ、長谷川家の義父母は自害し、等伯一家は故郷を追われるように出ていくことになります。体調を崩した妻子を途中の寺に預けて上洛し、仏画を描いていた縁でお寺に身を寄せますが、時代の波に翻弄されて苦労に苦労を重ねます。その中でも絵に対する情熱は失わず、仏の教えを学びながら精進します。自分だけで絵を学ぶことに限界を感じた等伯は狩野永徳の父に教えを乞い、快く手ほどきしてもらえます。長谷川等伯は実力を認められるようになり、妻子を迎えに行きますが、故郷を離れて十年の年月が経っていました。その後も等伯は妻を失い、絵師として一人前になりかけていた長男を失い、失意の中、苦しみながらも縦五尺二寸、横十一尺八寸の六曲一双の松林図屏風を描き上げます。長谷川等伯の三年どころではない艱難辛苦の末に生まれた傑作といえるでしょう。

祖母に良く言われた石の上にも三年

私は、小さい頃からおばあちゃん子で、祖母が遠方から遊びに来るのが楽しみで、よく色々な所に連れて行ってくれました。
人生の節々ではアドバイスもしてくれて、両親から言われるよりも、心に響く事が多かったと思います。
今でも覚えている祖母からのアドバイスがあり、それは私が高校一年の時で、野球部に入っていましたが、思っていた状況と違い、毎日声出しや後片付けなど、野球の練習がほとんどできない日々が続きました。
そんな時祖母が遊びに来ていて、部活頑張っているんだってねー!と言って来たので、想像と違うから辞めようと思っていると話ました。
そうしたら、石の上にも三年って言うからまだ諦めるのは早いよ!と言ってくれて、その言葉が心に響き頑張る事にしました。
辞めないで部活を続けた結果、高校二年からレギュラーになれて、野球の実績で進学もできました。
社会人になってからも、職場の環境に馴染めず辞める事を考えている時、祖母が石の上にも三年という話をしてくれて、就職したばかりの時期を乗り越える事ができました。
その言葉は、それ以降聞けなくなりましたが、今でも新しい事にチャレンジした時は、祖母に言われた言葉を思い出して、乗り越えるように努力しています。