精神一到何事か成らざらん

【漢字】精神一到何事か成らざらん
【読み】せいしんいっとうなにごとかならざん
【意味】精神を集中させて行えば何事もできない事はない。
【例文1】精神一到何事か成らざらんでパズルを今日中に完成させる。
【例文2】精神一到何事か成らざらんで受験勉強に励む。
【例文3】精神一到何事か成らざらんで今夜は徹夜だ。

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精神一到何事か成らざらん」は長期戦での心構え

「気持ちや精神を集中して事に当たれば大抵の事は成し遂げられる」という意味に使われます。元々は中国の思想家・朱子の語録が出典です。
似た表現に「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉があります。「心頭」つまり、心を滅却(失くせば)燃え盛る炎でさえ涼しく感じるものだ、というとんでもない根性論ですが、気持ちの持ちようで苦労も乗り越えられる、という程の意味です。
精神一到何事か成らざらん」の「精神一到」とは精神を一つの事に傾ける・集中するという意味があり、一点に気持ち(朱子学でいう陽の気)を集める事の重要さを説いています。
同じ意味を持つ言葉に、「一念岩をも通す」や「雨垂れ石を穿つ」などがあります。いずれも一つの事に集中して事業や想いを貫き通す事を表す言葉です。
古来からこうした言葉がある背景には、途中で投げ出す事や中途半端なやり方を嫌う思考が感じられます。
「為せば成る、成さねばならぬ何事も」も途中で放棄する事を戒め、長期に渡る事業の成功方法を説く言葉ですが、「精神一到何事か成らざらん」には集中する事の重要性を説いており、より短時間で成果をあげようとするなら気持ちを散らす事なく目の前の事に当たりなさい、と短期戦での心構えを教えています。

精神一到何事か成らざらん」を体現して見せた稀勢の里

精神一到何事か成らざらん」とう言葉があります。「心を集中し、全身全霊を込めてことに当たれば、どんなことでも成し遂げられる。精神力さえあれば、どんな困難も乗り越えられる」という意味と解釈していいでしょう。
出典は中国の『朱子語類』で、「陽気の発する処、金石も亦透る、精神一到何事か成らざらん」の一説が独立して使われるようになったのです。ちなみに、「天地に強い陽の気が発すれば、金や石も突き通してしまうものだ」というのが、その前半の意味です。
精神論を述べるときによく使われますが、われわれが一番よくこの言葉を見聞きするのは、スポーツに関することでしょう。スポーツでは「心技体」ということがよく言われますが、その「心」の重要性を表現したのが、精神一到何事か成らざらんという言葉です。
実際に、スポーツシーンでこの言葉が体現されることがあります。2017年の大相撲春場所が好適な例でしょう。
横綱稀勢の里が「休場は免れないのでは?」と思われるような大きなけがをしながら、千秋楽の結びの一番と優勝決定戦に連勝し、奇跡の大逆転優勝をしました。あの気迫に満ちた二番こそ、まさに「精神一到何事か成らざらん」を地で行ったものと言っていいでしょう。
同じような奇跡の優勝を。貴乃花もかつて果たしています。力士生命にかかわるような大けがを負いながら、武蔵丸を倒した相撲は「鬼になった」と称されました。あの時の貴乃花も、精神力によって奇跡を起こしたということができるでしょう。