弘法筆を選ばず

【漢字】弘法筆を選ばず
【読み】こうぼうふでをえらばず
【意味】弘法大師はどんな筆を使っても見事に書くことから、その道の専門家は道具に関わらず、立派に仕事をこなすものである。
【例文1】美容師の友人は弘法筆を選ばずで、家庭用ハサミでも器用に髪を切る。
【例文2】料理人は設備が整っていない被災地でも弘法筆を選ばずだ。
【例文3】一度体験しただけで器用にこなすとは弘法筆を選ばず。

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「弘法筆を選ばず」の精神は現代にも脈々と受け継がれている

「弘法筆を選ばず」は、昔々の書道の達人「弘法様」がどんな粗末な筆であっても立派な文字を書いたことから、その道のプロフェッショナルは自分の使う道具や材料について不平不満を言わず素晴らしい作品を作り上げる、という意味になりました。またこのことが転じて、道具をえり好みして作品の不出来を道具のせいにする人を叱る時にも使われるようになった言葉です。
私がこのことを実感する場面は意外と多く日常の中に転がっています。私は趣味で絵を描くのですが、イラストレーションの世界では常に「アナログで絵が描けない人はデジタルでも描けない」だの「デジタルの機能を使いこなせない人は旧時代の技法にしがみついているだけだ」だのといった「デジvsアナ論争」が巻き起こっています。私自身アナログ絵から始まってデジタルに移行した人間ですが、どちらの言い分もうなずける部分もあり、首をかしげてしまう部分もあり、どちらが本質なのだろうと悩んだことがありました。
しかし私が尊敬する画家の方が、さらに尊敬する諸先輩方の言葉を引用して、「アナログならアナログ、デジタルならデジタルの良さに特化した絵を描くべきだと言う人もいれば、アナログでもデジタルでも同じクオリティの絵を描けるようにするべきだと言う人もいて、両方の先輩方の作品はどれも比類無いくらい素晴らしいものばかりだから、どんなアプローチであっても良い絵を描ければそれが正解だ」と言っていたのを聞き、目からポロポロと鱗が落ちたのです。これこそまさに「弘法筆を選ばず」だ、と。
絵に限らず、フライパンが良くないから料理が焦げただの、パソコンのスペックが低いから作業の質が落ちただの、自分の能力の範囲内のことであるのならば、どんな道具を使っていたとしても言い訳をしないで生きていきたいものだと反省させられる言葉です。