敵は本能寺にあり

【漢字】敵は本能寺にあり
【読み】てきはほんのうじにあり
【意味】明智光秀が備中の毛利氏を攻めると見せかけて出陣し、京都本能寺の織田信長を襲ったことから、本当の目的は別にあるという意味。
【例文1】結婚を決めたのは敵は本能寺にありで、遺産目当てではないかと囁かれている。
【例文2】真相を暴くために敵は本能寺にありで潜入捜査する。
【例文3】彼に近づいたのは彼の友人目当てで敵は本能寺にあり。

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「敵は本能寺にあり」って言われて、ついていけますか

いきなり自分の上司がクーデターを起こして上層部に反旗を翻したら、付いていけるでしょうか。
よほどの大義名分があっても、まずは損得勘定に始まって最終的に己自身の保身について考えることになるでしょう。
上層部の排除に成功したとして、すんなり取って代わることが可能かと問われれば難しいというのが大勢です。
逆に裏切り者のそしりを受けて、昨日までの全ての味方から責められるのは目に見えています。
仇討ちの大義名分を掲げられたら、すでに勝敗は決したも同然となること請け合いです。
下克上が当たり前に行われた戦国乱世であっても、上司の命令だからといって絶対的な権力者に弓引くことなど常識的に考えられません。
実際に敵は本能寺にありなどと大将が言ったら、びっくり仰天して何も出来ないか、巻き込まれるのを避けて逃亡すると思います。
悪巧みというか謀反の詳細は幹部連中だけが知っていて、下っ端は何も知らされずに戦場に連れ出されたという方が納得できます。
戦国時代ならいざ知らず、現代社会でクーデターとか謀反なんて起きないだろうと楽観している人が普通でしょう。
しかしメディアが政権を徹底的に批判して状況を傾ける程度のことは起こりえると思います。
大勢が大声で正しいと叫び続ければ、本当に正しい判断を下せる可能性はかなり低くなるでしょう。
民主主義といいつつ、ただの多数決にしかなっていない社会は危ぶまれるべきではないでしょうか。

敵は本能寺にありの真意

「敵は本能寺にあり。」
これは明智光秀が、本能寺に宿泊している織田信長を襲う際に家臣に放った言葉として有名ですよね。
誰もが一度は聞いたことがあるかと思います。

当初、光秀は家来に敵は備中の毛利勢であるとは知らせていたから、家臣たちは備中に行くものと思っていました。
しかし、道を途中で変更し相手の陣地に入るために桂川を渡るとき、敵は本能寺にありと言い放ったといわれています。
つまり、本当の敵は別のところにあるという意味で、敵は本能寺にありという言葉が使われだしたのだそうです。

しかし、本当に明智光秀はこの言葉を使ったのか意見が分かれているのです。
そして当時の記録には何も残っていないということから、実際は使われてない可能性が非常に高いのだとか。
ここまで使われてきた歴史上の重要な言葉が嘘だったら少しショックですよね。

敵は本能寺にありという言葉が文書に出始めるようになったのは、江戸時代の末期である1827年の出来事なのです。
これは本能寺の変が起こってから250年後になります。
実際のところ、明智光秀は本能寺の変の前夜に織田信長を倒し、天下を取ると明かしています。
信長を倒すには、高度な情報統制が必要であったのです。
ですので、もし光秀が途中で敵は本能寺にありと叫べば、本能寺にいる信長の元へ明知勢が走って、光秀寝返りという可能性がありましたからね。