晴耕雨読

【漢字】晴耕雨読
【読み】せいこううどく
【意味】晴れた日は田を耕し、雨の日は家で読書するという意味から思いのままのんびり生活すること。
【例文1】定年後の生活は晴耕雨読の暮らしが理想だ。
【例文2】母の定年後は晴耕雨読で温泉の旅が癒しだ。
【例文3】子ども達が巣立ち晴耕雨読の毎日だ。

晴耕雨読をテーマにした記事

「晴耕雨読」の習慣

「晴耕雨読」とは文字通り、「晴れた日は田畑を耕して働き、雨の日は読書に励む。悠々自適な生活」のことです。どうして悠々自適かというと、お金に苦労している家は晴れていれば外仕事ですが、雨の日には農機具の手入れや縄を編むなどの家でできる仕事をしなければなりません。雨の日に読む本が用意でき、読む暇がとれるということが悠々自適な生活の現れだといえます。
それでも子どもには晴耕雨読をさせたいと親たちは願います。その結果出世してくれればと。晴耕雨読の生活を送った人に野口英世や長塚節(ながつかたかし)などがいます。野口英世の生家は貧しく、小さい頃囲炉裏に落ちて火傷で指先が引っ付いてしまった野口英世ですが、手術するにもお金がありません。それを英世の担任の先生がお金を用立て、手術を受けさせてくれるのです。ただ、貧しい暮らしで、母は読み書きができませんでしたが、子どもの教育の大切さは承知しており、英世には雨の日には勉学に励むようにと言うのです。そして英世は理数系の科目が抜きんでてできるようになり進学し、科学者として研究に勤しむようになりました。長塚節は茨城県の豪農の家に生まれ、晴耕雨読に励み、茨城中学に進みますが、神経衰弱にかかり中退。その後正岡子規に師事し、伊藤左千夫らと「馬酔木」を創刊し歌作や歌論に活躍します。晩年最期の作品が傑作となりました。晴耕雨読の習慣が二人を成功に導いたのかもしれません。