孝行のしたい時分に親はなし

【漢字】孝行のしたい時分に親はなし
【読み】こうこうのしたいじぶんにおやはなし
【意味】親孝行したい年齢になった時に親がもういない、生きているうちに親孝行しとけばよかったと後悔する。
【例文1】孝行のしたい時分に親はなしにならないように、連絡はこまめに取り合っている。
【例文2】孝行のしたい時分に親はなしと言うから年老いた親は大切にしよう。
【例文3】孝行のしたい時分に親はなしとひどく悔やむ。

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「孝行のしたい時分に親はなし」なので親孝行しよう

「孝行のしたい時分に親はなし」というのは、昔から言われ続けている言葉です。意味は見てわかる通り、親孝行をしたい年代になったころには、もう自分の親というのはいなくなっているのだ」ということですが、では、果たして今でもそれは変わらないのでしょうか?
たしかに、この言葉が生まれたであろう大昔、たとえば江戸時代においては、「人生五十年」と言われていたくらいですから、自分に子どもが生まれる頃には、親御さんが天国へ行ってしまっていた人たちはとても多いだろうと思います。ですが、この現代において、特に日本人においては、平均寿命が80歳とも言われているくらいです。30歳ごろになってある程度社会でも生きていけるようになり、自分に余裕ができたころ、わたしたちの親は何か事情が無い限り、多分生きていますよね。
では、どうしていまだにこの言葉がなくならないのでしょうか?わたしは、現代人の時間の余裕が昔に比べて無いからだろうと思っています。
これぞ親孝行!と思えるような、たとえば海外旅行などに一緒に行くことは、わたしたちが社会で働いている限り、とても難しいことです。わたしたちは、20代前半から、自分が高齢者になるまで、時間に余裕がないのです。なんだか切ないですが、せめて今できることから、きちんと孝行していきたいですね。