行雲流水

【漢字】行雲流水
【読み】こううんりゅうすい
【意味】物事に執着せず雲や水の流れのように自然に任せて行動する。
【例文1】次の家族旅行は行雲流水で行ってみよう。
【例文2】行雲流水の旅に出る。
【例文3】散歩コースは行雲流水だ。

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行雲流水という心構え

「行雲流水」とは読んで字のごとく、風に乗っていく雲ように、また水の流れのように自然に身を任せて行動するようなことを言います。一見無責任なようにも見えますが、古い言葉として残っているように昔の人々はより自然に任せるような暮らしていたのではと感じます。
これらのことは確かに競争社会を生き抜くためには重要なことですが、夢や目標に固執してしまうことは価値観を狭めてしまうなど、ときに弊害ももたらします。
「行雲流水」は夢や目標達成とは真逆な考えにも思えますが、とくに心の部分において重要な考え方なのではないかと思います。
成長していくにつれて変わっていく心境や考え方の変化をどうとらえるか、もともと持っていた夢や目標との間に矛盾が生まれたときに「行雲流水」という考え方を知っていればそれが当たり前なのだと受け入れられます。
空に浮かぶ雲のように、また川を流れる水のように、心は常に変化していくものでありそれが自然なのだと感じるようになれれば、大きな壁にぶつかったときでもその壁を乗り越えやすくなるのではないかと思います。

行雲流水の意味は自由気ままではなかった

「行雲流水」は、こううんりゅうすいと読みますね。「流水行雲」と使われることもありますよ。字面が良い四文字熟語なので、色々な作品に使われますね。

漢字を目にして受ける印象から「自由気まま」を意味する言葉に思われがちですが、実際はもっと奥の深い意味を持つ禅語なのです。

「行雲」は空を悠然と行く雲、「流水」は絶えることなくさらさらと流れる水です。

雲も水も留まることなく絶えず動いていますね。
このよどみのない無心無想で自由自在の状態を「行雲流水」と表しています。
ここから、一定の形を持たずに移り変わっていく様子や、物事に深く執着しないで自然の流れに身を任せて行動することの例えになりました。

「行雲流水の生活」と使われることが多いですよ。

言葉の意味は次第に「自由気まま」と受け取られるようになりました。
そのほうが「なんだかカッコイイ」イメージになります。

ですが、本来「行雲流水」とは、禅語として「人生の無常」「世の無常」を例える言葉なのです。

自然現象である「行雲流水」のように、人生や世の中も常に変化していて、良いときもあれば悪いときもあるけれど、どんなときでも淡々とさわやかに生きることを言い表しているのですね。

ちなみに、諸国を巡り歩いて修行する禅僧の「雲水」の元になった言葉でもあります。