艱難汝を玉にす

【漢字】艱難汝を玉にす
【読み】かんなんなんじをたまにす
【意味】人は困難を乗り越えてこそ成長する。
【例文1】逆境にあったからこそ艱難汝を玉にす。
【例文2】親元を離れて艱難汝を玉にす。

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「艱難汝を玉にす」に対する色んな見方

苦労や困難を乗り越えたらりっぱな人になれるのが「艱難汝を玉にす」です。

個人的にその言葉には納得は出来ますが、共感度はそれほど高い方ではありません。

その理由としては見方によっては「苦労しないと立派にはなれませんよ」とも受け取れます。

もしもそうであったら、そうまでして立派になりたいとは思わないからです。

そういう人間になるには、そんな要素もあった方がいいのかもしれませんがそれでも絶対条件ではないと思います。

確かに困難に負けてしまう人よりは、乗り越えた人の方が精神的にも強いし逞しい事でしょう。

その強い気持ちを活かして成功していくのなら参考にしたい気持ちは多少はありますが、自ら良くない状況に飛び込もうというまではさすがにいきません。

実際に自分から行える人は、強い人だし逆境も乗り越えた体験談を話すことで周りから注目されたり尊敬されたりはしそうです。

でも個人的な意見ですが同じ、りっぱな人物になるにしても苦労よりもある程度は楽しみながらなれる事を希望します。

例えば人を喜ばせたり、自分以外のためになることを行うのもりっぱな人間のひとつの形に近づけるような気もします。

例えばですがお笑い芸人の場合は自分も楽しみながら相手も楽しませてるので素晴らしい存在といえます。


「若い時の苦労は買ってでもせよ」ということわざもありますが、それを実践できた人間は「艱難汝を玉にす」も体現できる可能性が割と高い方だと思います。

艱難汝を玉にす

人の人生に於いて様々な苦労や困難がやって来ますが、それらを乗り越えた時に一回り成長を遂げた様を「艱難汝を玉にす」と言い表します。「艱難」は困難を指し、困難に会い苦しみ悩む事だそうです。そして濁流に流される角のある岩も、下流に行きつく頃には丸い石になっている事から、この言葉が生まれたとされます。どれだけ素質に溢れた人でもそれを伸ばす為の努力をしなければ、三流の人で終わるかもしれません。一流になるに相応しい努力をしてこそ他人から認めて貰えるのです。努力というのは元来地味で退屈で面白味のない作業ですが、その作業を面倒臭がらずやり遂げた人こそ一流になる権利を得られるのです。もちろん努力した人全てがめでたく一流になれる訳ではなく、今度は努力をした者同士で一流の称号を掛けた競い合いが待っているのです。その競い合いはどこまでも続く事もあり、諦めた時が終わる時になる場合もあります。挑む事が苦しく感じる時もあるかもしれませんが、それらに費やす時間こそ成長の糧になっているのだと思います。場合によっては思わぬ不測の事態に見舞われ、窮地に立たされる場面もあるでしょうが、決して投げ遣りにならずあらゆる手段を講じてその窮地を乗り越えた人こそが「艱難汝を玉にす」と言うのだと思います。