虻蜂取らず

【漢字】虻蜂取らず
【読み】あぶはちとらず
【意味】二つのものを得ようとして両方とも逃す。
【例文1】あれもこれも食べたいなと迷っているうちに売り切れになり虻蜂取らずだ。
【例文2】欲しいものは一つに絞らないと虻蜂取らず。

虻蜂取らずをテーマにした記事

虻蜂取らずになると目標達成するのは難しい

物事がうまく行かないときや頑張ってるのにあと一歩が届かないときは、欲張りすぎていないか確認する必要があります。たくさんのことを一度にやろうとすると、どれもこれもが中途半端になってしまいます。これを諺で虻蜂取らずと言います。例えば資格の勉強をしようとしたとき、語学の資格も取りたいし、IT系の資格も取りたいとなった場合、同時に始めてしまうとかえって覚えるのが遅くなってしまいます。どちらかひとつを犠牲にしておけば集中できて合格ラインに達することができるようになってきます。ひとつのことが達成できて初めて次のことにチャレンジできるようになります。他にも虻蜂取らずの経験があったのはピアノとギターを一緒に覚えようとしたときです。ピアノもギターも楽譜を読む所は同じでコードも覚えてしまえば同じだと思っていました。しかしギターはコードを押さえられるまで何度も練習しなければなりません。虻蜂取らずになっていると、なかなか前に進まず結局挫折してしまいました。ピアノでコードを押さえるのは簡単ですが、両手で演奏するとなるとこれまた大変なのです。慣れるまではひとつのことに専念しようと思いピアノは諦めました。ギターだけを集中的に覚えるようにしたら、半年ほどで弾けるようになりました。虻蜂取らずになっているとなかなか前に進みませんが、ひとつのことに専念すれば目標は達成します。

虻蜂取らずの意味を全く勘違いしていた件について

「虻蜂取らず」の意味は、二つの目標を追って両方を取り逃がす、または方針を決め切れずに迷っているうちに失敗してしまう、という意味なのだそうです。
特に使う機会もなく、使われた場面に遭遇することもなかったので、適当に自分で解釈してそれを正しいと思っていました。
私は長いことこのコトワザの意味を、虻か蜂か分らないならば手を出さない方が良い、つまり「取らず」の選択をする法がよいということだと思い込んでいました。
よくよく考えてみれば、虻だって不用意に手を出せば危ないのですから、そもそも最初の段階で間違っているのです。
間違っていることを知ったときには、それを信じられず方々のサイトなどを調べてみて回ったものです。
コトワザの由来は、蜘蛛が巣にかかった蜂と虻のどちらを捕らえようか迷っていたところ、決断が遅すぎて両方に逃げられたことによるそうです。
取るのが人間ではなく蜘蛛とは全く思いもよらず、実害はなかったにせよ長いこと勘違いを続けてしまっていたものです。
とりあえずこのことでは大恥をかくこともありませんでしたが、この分ではまだまだ沢山の勘違いをしていそうです。
いまから国語の勉強というのも何か意欲的に出来そうにありません。
60の手習いというくらいですから、それより若い分には勉強を始める志を立てるのに遅くないと思い込むことで何とか取り掛かりをつかみたい所です。