威風堂々

【漢字】威風堂々
【読み】いふうどうどう
【意味】態度に威厳があって満ち溢れている様子。
【例文1】我が子の入場姿は威風堂々たるものだった。
【例文2】威風堂々たる新郎スピーチだ。

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威風堂々という名曲

「威風堂々」というクラシックの名曲があります。
有名な曲で知らない人はほとんどいないかもしれません。

また、BGMなどいろいろな場面でこの曲が使われることがあります。
威風堂々という局名に相応しく、堂々たる雰囲気が曲に表れていると思います。

このように有名なクラシックの音楽は、何かのBGMなどがきっかけで知ることも多いような気がします。
また、クラシック音楽を題材にした、ドラマや映画、またはアニメなどの影響で、興味を持つこともあります。

特に子どもの時にアニメなどを通して、その世界の素晴らしさを知り、将来その道に進む人もいます。
私が知っている人の中でも、その頻度はかなり高いかもしれません。

何かきっかけがなければ、その世界を知ることができませんが、子どもの場合はやはり漫画やアニメかが大きく影響しているようです。

私の場合は学生時代に、友人が好きだった映画を一緒に見に行ったことがきっかけで今の道に進んでいます。

自分の進み道を知る手がかりはどこにあるかわかりません。
その為、興味があることに、とりあえず首を突っ込んでみるのも良いかもしれません。

「威風堂々」という名曲を聴いて、音楽の道を目指す人もきっといると思います。
自分のアンテナにキャッチできるものがあれば、それを大切にしていきたいものです。

威風堂々とした人

まず、威風堂々とは態度や雰囲気に威厳が満ちあふれて立派なさま。周囲を圧するような威厳があって、おかしがたいさま。気勢が非常に盛んな形容。とgoo辞書にあります。
最近威風堂々とした人っていないな?と思います。
態度や雰囲気に威厳が満ち溢れた人なんていませんよ。
でも昭和にはたくさんいた気がします。
それはわたしが子供だったからそう見えただけなのか・・・
政治家では田中角栄なんかは威風堂々そのものだと思います。今の安倍さんも素晴らしい政治家だけど、威風堂々とは違います。
威風堂々って良くも悪くも雰囲気ですよね。貫禄とかそういうもの、努力してどうこうなるものでもないんでしょうね。
とはいえ、威風堂々が正義かというとそれも違います。
ただ、今の日本にMr.威風堂々がいないというのは今の日本という時代そのものに反映しているような気もします。
角栄がいた頃の日本にはやっぱり勢いがあったのかなと思います。
芸能界では、石原裕次郎さんなんかが威風堂々という表現にふさわしい気がします。
ちょっと体型なんかも影響するのかもしれませんね。
カリスマ性と似ているけど、カリスマ性は痩せ気味の方には感じても威風堂々さは感じません。
今の時代を角栄が目の当たりにしたらどう感じるでしょうね。

威風堂々とした人間には憧れます

威風堂々とした人間には憧れますし、またそういうになれるのが理想的です。

ただ、そのためにはそれなりの実績も必要です。

これといった事をしてないのに大きな顔をしてても空威張りだし、自分では威風堂々としてるつもりでも周りからみると反対に小さく見える可能性もあります。

それだと威厳もないですし、本当に強い人は気持ちに余裕があるので物事にもゆったりと構えてます。

そういったことを考えてみると威風堂々とした人間を目指すのであれば自分で評価するのではなくて、他人から自然にそう思われるのがベストですね。

そしたら、見せかけだけの空威張りをするよりも実績を積む事の方にも目が行くことでしょう。

例えば、オリンピック選手なども素晴らしいですよね。

確かにメダルを取った時も輝いではいますが、その舞台に出場した選手も威風堂々として見えるのです。

その理由は今までにかなりの練習量をこなしてる自信から、後はチャレンジするだけという姿勢がうかがえるからと思います。

結果はどうあれ、その選手の姿は格好いいし多くの人が感想したり、また憧れて自分も同じような目標を持ちたい気持ちにさせるのには納得できます。

威風堂々とした人間になるためには、長い時間をかけて実績を積みそれを他人から認めてもらうことで実現するので自分も少しずつでもそれに近づいていきたいです。