行間を読む

【漢字】行間を読む
【読み】ぎょうかんをよむ
【意味】文章には直接表現されていない登場人物や筆者の気持ちを感じ取る。
【例文1】行間を読む力をつけるため授業の前に朝読書がある。
【例文2】洞察力があり行間を読むのが得意だ。

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行間を読むことの大切さ

私は長年、翻訳の勉強をやっています。
外国語を訳す時、書かれている言葉をそのまま訳したのでは、単なる直訳になってしまいます。

さいきん、AIの影響で、自動翻訳機能も多く見かけるようになりました。
自動翻訳で出来るのは直訳だと思っています。

もし、AIで行間を読む翻訳ができるようになれば、もう翻訳家は必要なくなってしまうのかもしれません。
しかし、翻訳作業は他のクリエイティブな作業と同じで、見えない部分を安くことが大事だと思っています。

いくらAIが発達したとしても、やはり人間にしかできない仕事というものは、今後も残っていくことでしょう。

行間を読むことは読み書きだけではなく、会話の中でも重要です。
その場の見えないものを読み取る力は、以前に比べると無くなってきたとも言われています。

その原因の一つは、読書力が弱くなってきていることではないかと思います。
文章を読む習慣がないと、どうしても表面上の書かれている言葉だけで理解しようとしてしまいます。

これでは行間を読むことができなくなってしまいますし、場合によっては良好な人間関係を築いていくにも支障が出てしまうのではないかと思います。

行間を読めるようになるにはある程度の訓練が必要です。
どんなに時代が進んでも、基本的なことはきちんと習得していかなければいけないのではないかと思っています。

行間を読むの意味とは?

「行間を読む」という言葉がありますけど、これは割と見かける言葉と言えると思います。日常生活の中でも使うことがありますし、この表現を見ることもよくあるのではないでしょうか?この行間を読むというのは、意味を簡潔に説明すると、文章や言葉として直接表現されてはいないが、その部分を考慮して理解しないといけないということになります。つまり、書かれていることや言っていることを、そのまま理解しないことを意味すると思います。行間を読むことができないと、意思疎通が正確にできないことがあると言えます。直接言いたいことを言わないのが悪いという見方もできなくはないですが、言いたいことをそのままストレートに言わない、言えない機会が結構現実的にあると思うので、そこを考慮すると、誰かの言葉や文章をそのまま理解するのではなく、相手の意図を読み取る力が別途必要になる、そう考えている人が多いのでしょう。行間を読む力がないと、勘違いを起こしたり、上手くコミュニケーションがとれなかったりすることもあるので、行間を読むということは上手く生きるために必要な能力の1つとして持っておかないといけないと言えると思います。常に相手の言っていることなどについて、真意ではない前提でいた方が良いと思います。

行間を読むことができる人は人付き合いが上手い

「行間を読む」ということが正直、私は苦手です。
そもそもこの言葉には、文章に文字としては書かれていない書き手の真意を汲み取るという意味があります。
転じて、会話している内容に対して、伝えにくいことがあったら遠回しに伝えることで、受け手に察してもらうことも意味していますが、空気を読むと同じような意味を感じます。
元々繊細に考えられないさっぱりした性格のせいか、そのような含みのある言い方をされると、言いたいことがあるならハッキリ言ってくれればいいのに、と思ってしまいます。
しかし、この行間を読むことは、コミュニケーションをスムーズに進めるためにとても重要なことだと思います。
これができる人は相手のことを思いやることができて、どうやったら喜んでくれるのか、などを瞬時に判断することのできる人だと思うからです。
そのため、なんとか言葉の意味を読み取って、相手の今の心情を推し量るように意識していますが、正直疲れてしまいます。
外国の方は割りとストレートに物事を伝える印象があるので、もしかしたらこれは日本独自のものなのかもしれませんね。
ただ、仕事に関しては細やかな報告が求められるので、この行間を読むことをしなくて済みます。というよりは察して下さいと言わんばかりの文章は失礼にもあたり、状況によっては怒られることにもなりかねません。
TPOに合わせた対応をすることは大変ではありますが、世渡りの上では大切なことですね。