水を得た魚のよう

【漢字】水を得た魚のよう
【読み】みずをえたさかなのよう
【意味】その場の環境に合っていて生き生きしている様子。
【例文1】孫と遊んでいる時は水を得た魚のように元気になる。
【例文2】祖父母はゲートボールに行きだして水を得た魚のように生き生きしている。
【例文3】高齢者はおしゃべりだけでも水を得た魚のように元気になる。

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『水を得た魚をよう』の語源と例示

『水を得た魚のよう』とは、水魚の交わりという諺がある通り、切っても切れない関係、またはそれほど親密な関係を意味し、この慣用表現の場合は向かう所敵無しの様な勢いを意味しています。似たような表現に飛ぶ鳥を落とす勢いという表現があります。
この語源は、かつて中国の三国時代において、浪人時代の劉備玄徳という客将が三顧の礼を経て天下の大軍師諸葛孔明を招き入れ、その後の二人の相思相愛の関係を表現したものと言われています。
今でこそは数々の政治的失策で政権支持率が低迷していますが、民主党から政権を奪還した後に発足した第二次安倍政権は要職を信頼の置ける大物政治家で固め、かつ女性閣僚を積極的に登用し、高い支持率を背景に内政・外交・経済面において政策を次々と打ち出し、それが全て功を奏して国民からの高い支持率を長期間維持しました。その間の国政選挙も連戦連勝で正に水を得た魚のように政治的タクトを奮ってきました。
衆参両院で圧倒的過半数の議席を保持し、両院で三分の二以上の国会議員による賛成を必要とする憲法改正まで視野に入れるまでになりました。その政治的な無敵状態から、戦後最長政権も視野に入れて総裁任期も三期まで可能とさせました。一年前までの安倍政権は、正に水を得た魚のような政権運営でした。

「水を得た魚のよう」の状況はよく考えるとおかしい件

環境や条件などの変化により活力を得た状態をさして「水を得た魚のよう」といいますが、実際の魚はどうでしょう。
水を得たということはそれまで水が無い状況に捕らわれていたことを示します。
一部の魚を除いて陸上に上がってしまえばエラ呼吸をする魚がまともに酸素を取り入れることなど出来ません。
口をパクパクするのも束の間、あっというまに瀕死の状態に追い込まれることでしょう。
そのような状況から何かしらの理由から水中に戻されたとしたら、魚の感想としては九死に一生を得たというのが当てはまるはずです。
人間であれば水中に落下して溺れている状態から何とか陸上に這い上がれた状況で、うれしいとか喜ばしいという感情がわくはずがないのです。
まあ釣り上げられた魚が水中に戻った途端に元気に泳ぐ様子から出来た言葉なのでしょうけれど、ピンチを脱して一目散なのは明らかでしょう。
同義語として、「追い風を受ける」や「波に乗る」「流れに乗る」などがあるのでこちらの方が使いやすいように思えます。
人によっては全く同意できないことかもしれませんが、泳ぎが不得手な身としては水中に放り込まれるなど致命的な大ピンチです。
沈没の心配の無い船に乗せてもらいプカプカと浮かんだ状態で、風を受け波に乗り流れに任せて運ばれていくほうがまだマシな気がします。
まあ、そういうわけで泳げない私は陸に引き上げられた魚に同情してしまうわけでした。