仏の顔も三度

【漢字】仏の顔も三度
【読み】ほとけのかおもさんど
【意味】仏様のような穏やかな人でも何度も無礼な事をされれば怒り出す。
【例文1】あの優しいお母さんが怒るなんて仏の顔も三度までだね。
【例文2】温厚な人でもさすがに毎回約束破れば仏の顔も三度だ。
【例文3】デートに遅刻してばかりで仏の顔も三度だ。

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仏の顔も三度まで、母の仏も三度まで

私には小学校6年生の息子がいて、この息子に結構手を焼いているのです。物を失くすのなんてしょっちゅう。忘れ物もしょっちゅう。男の子だから?と思ったりもしますが、私には理解できないことが多々あるのです。そんな息子も6年生になったのをきっかけに、次はもう中学生になるので、久々にきちんと出来ているか連絡帳を見て明日の用意がきちんとできているのか確認しようと思ったのです。小学校低学年までは毎日宿題を確認して明日の用意ができてるかを一緒にチェックしていたのですが、3年生からはさすがに出来ているだろうと確認しなくなったので、約4年ぶりに一緒に確認しました。
すると、連絡帳を全く書いていないのです。なぜか?と聞くと「遊んでいて書いてなかった」と。私は連絡帳をきちんと書かないといけない理由を息子に話し、今日からきちんと書いてくるように注意しました。そして次書いてこなかったらゲーム捨てるよ!と言いました。1週間後、もう一度連絡帳を見てみると書いてる日と書いてない日が飛び飛び。なぜ毎日書かない?と聞くとまた「遊んでて忘れた」と。さすがに少しキツめに叱りました。でもさすがにゲームを捨てるのは可哀想だと思い、もう次書いてこなかったらほんとにゲームは捨てると宣言し、今回は許したのです。そして次の日、連絡帳を見て私は愕然としました。また書いていないのです。仏の顔も三度までとはよく言いますが、母の仏の顔も三度まででしたね。ブチギレた私はゲームをほんとに捨てました。息子はそこでやっと事態の重さに気づいたのか泣いていましたが、ほんとにもう遅いのです。その日から息子はきちんと連絡帳を書いてくるようになりました。仏の顔も三度まで。息子はきっと思い知ったでしょう。

仏の顔も三度までが限界

「仏の顔も三度」という言葉かあります。世の中には聖人のように優しい方が稀にいますよね。私が働く職場の店長がまさしくそのような方で、滅多なことでは怒らない聖人と言われていました。
そんな店長ですが、唯一怒りをあらわにしたことがありました。従業員に暴言や暴力を振るうお客さんがよくお店に来ていましたが、一度目と二度目は軽く注意するだけで、三度目に「うちの従業員に手を出すな!」と、日頃の穏やかな店長とは思えない剣幕で、そのお客に掴みかかりました。
私を含めた従業員と、その場にいたお客たちは非常に驚いたようで、常連のお客さんも含めて必死に店長を止めに入りましたね。お客さんたちも店長が穏やかなことを知っていましたから、さぞ驚いたことでしょう。その後、警察が来ましたが、他のお客による証言もあり、暴力を振るったお客に厳重注意がなされ、その場は収まりました。
従業員に対する愛情が強い方だったので、家族のような従業員を守ろうと店長がしたのかも知れません。「仏の顔も三度まで」という言葉がありますが。まさしくこの出来事に当てはまる言葉だと思いました。どんなに優しい人でも大切な人を馬鹿にされたり、理不尽なことを三回もされたら限界が来ますよ。