桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す

【漢字】桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す
【読み】とうりものいわざれどもしたおのずからみちをなす
【意味】桃や李は何も言わないが、美しい花の下には自然と人が集まって道ができることから、魅力あるのものには自然と人が集まってくるものである。
【例文1】ここのお店は口コミだけで、桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す。
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「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」ほどの人徳者だった李将軍

「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」とは「人徳のある人のもとには、人々が徳を慕って自然に集まってくること」の意味です「蹊」は「こみち」のことで、列をなすどころではなく、こみちを作ってしまうほどであるという例えです。これは漢の司馬遷が書いた「史記」の「李将軍列伝」に出てくる言葉です。司馬遷は個々の人間の伝記を中心に歴史を記しました。司馬遷の歴史観に基づいた主観的な表現が散りばめられ、歴史書としても価値とともに、物語としても興味深く読まれる作品として後世に伝えられてきました。「史記」の中から生まれた慣用句や故事成語が多いのも、その成り立ちからすれば自然なことなのです。人徳とはいいますが、こみちを作るほどの人徳者はイエスキリストか、お釈迦様かくらいしか私には思い出せません。イエスキリストが磔刑になる時には彼を慕い、嘆き悲しむ人の列が刑場のゴルゴタの丘の麓まで続いたそうですし、お釈迦様も辻々で説法をなさると、その説法に感動した人々がつき従い付いてきてしまい、お弟子様の数が膨れ上がったそうです。やはり普通の人間ではなかったと思わされる逸話です。この史記の李広将軍はとても人柄が良く皆に尊敬されていたので、彼が死んだ日には彼を知っている人も、直接は知らない人までが悲しんだということから、司馬遷は李広将軍を例えるに「桃李言わざれど下自ら蹊を成す」という言葉を使ったのですが、「この言葉そのものは小さなことを言っているが、大きなことをも喩えられる言葉でもある」とまで添えています。この言葉は「桃李成蹊」の四字熟語としても知られています。