判官びいき

【漢字】判官びいき
【読み】ほうがんびいき
【意味】弱い者に同情して応援する。
【例文1】少年野球の試合で20-0の大差がついた。判官びいきで場内から声援が送られた。
【例文2】判官びいきの声援で諦めず最後まで戦う。
【例文3】女性に対して判官びいきはつきものだ。

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「判官びいき」の読みはほうがん?はんがん?

スポーツ観戦をしている時に負けている方を応援したり、かわいそうな境遇や弱い立場の人をひいきにすることを「判官びいき」と表現します。日本人には古来から、特にこの「弱い人やかわいそうな人を応援する」という心理が強いとされています。
まず、多くの人が迷うのが、その読み方でしょう。「判官びいき」という言葉には「はんがんびいき」と「ほうがんびいき」という2種類の読み方があるからです。
結論を言えば、どちらも間違いではありません。この言葉の語源になったのは「源義経」です。源平の時代に活躍した人物でありながら、兄の源頼朝に疎んじられ、奥州に落ち延びたあげく討たれてしまった悲劇のヒーローです。
源義経はその悲劇性から、長く日本人に愛されてきました。
さて、ではどうして源義経が「判官」なのか。それは。義経が「判官」という役職にあったからです。判官と言うのは、律令制の第三位に当たる役職名で、特に検非違使の尉をさしました。
その役職にあったため、義経は「源九郎判官義経(みなもとのくろうほうがんよしつね)」と呼ばれます。ここでは「ほうがん」と発音するため。「判官びいき」は「ほうがんびいき」と読んだ方が自然と考えていいでしょう。 

「判官びいき」の由来

「判官びいき」は(ほうがんびいき)とも(はんがんびいき)とも読みます。この言葉はまず判官の意味を知らないと理解できません。この場合の判官は源義経を指します。源義経が検非違使の判官という役職にあったからと言われています。源義経が英雄でありながら不遇の中夭折したことを愛惜し同情することを意味し、転じて弱者に対する第三者の同情やひいきのことを「判官びいき」と言います。源義経は幼少の頃、父が平家に逆らったことで亡くなり、兄の頼朝は流刑、義経は鞍馬寺に預けられます。その頃の寺は僧兵がいて武芸も習わすお寺もあり、義経もたしなんでいました。ある夜、京都の五条の橋の上で刀狩りをしていた弁慶と義経(幼名牛若丸)は出会い、弁慶を降参させ、後に家来になります。成長した義経は兄頼朝の下で源氏再興のために働きますが、兄の信頼が得られず奥州へ逃れます。その途中、安宅関(石川県小松市)で姿かたちは僧のようでも、義経に似ているということで見咎められ窮地に立たされますが、弁慶が「お前のせいでこの関が通れないのだ」と義経を打ち据えます。あまりの弁慶の振る舞いに関所の長官も止めにかかり、「疑いは晴れた」と関所を通し、関所を通った山中で弁慶が義経に平身低頭して謝罪し、義経は弁慶の機転で難を逃れたことに感謝し、弁慶は男泣きするという話があります。歌舞伎の「勧進帳」や能の「安宅」で有名になった話ですが、この後、頼った先で裏切られ頼朝の兵が追ってきたところで、義経は自害します。この彼の伝説が広まることでそれを悼む人々が増え、「判官びいき」の言葉まで生まれたのです。