赤の他人

【漢字】赤の他人
【読み】あかのたにん
【意味】まったく縁のない他人をいう。
【例文1】夫婦と言えど元々は赤の他人だ。
【例文2】見て見ぬフリなんて所詮赤の他人だ。
【例文3】似ているが、赤の他人だ。

赤の他人をテーマにした記事

コミュニケーション力があれば赤の他人と結婚へと至る事も容易です

昔は結婚適齢期と呼ばれる年齢が男女にあり、その年齢になるとほとんどの人が、結婚を果たしていました。
ですが今の時代は、結婚適齢期と言う言葉が死語となりつつあり、かつて結婚をしていた年齢になっても、独身のままでいる人が増えています。
結婚よりも独身でいた方が、色々と自由が利くので、結婚をしない人が増えているのだと思われます。
にもかかわらずここ最近は、結婚相談所などの結婚をサポートする業界がにぎわっているのです。
若い内は結婚しなくても良いと思っていても、それ相応の年ともなると、心に焦りが生じたり、周りにせかされたりして、結婚を考える人が増えているようです。
携帯電話の普及により、人と直接コミュニケーションを取る事を苦手としている人が増えています。
それで自力では結婚相手を見つける事が出来ず、結婚相談所などの力を借りているようです。
しかし結婚相談所と言えども、相手は赤の他人と同じです。
ですからコミュニケーションが苦手では、結婚相談所を利用しても、結婚へと至る事は難しいと言えます。
そこで結婚を考えたらまず、コミュニケーション力を鍛える必要があります。
コミュニケーション力を鍛えさえすれば、何も結婚相談所など利用しなくても、そこら辺の赤の他人とでさえ結婚へと至る事は可能です。
安に人の力を借りるのではなく、自分を変えていくように努力する事が大切です。

赤の他人と一緒に暮らす夫婦生活の難しさ

赤の他人とは、血のつながりのない、全くの他人のことをあらわします。
「自分とは全然関係ない」といった、ちょっと冷たいニュアンスを感じますよね。
ところが、そんな赤の他人と一緒に一つ屋根の下で暮らすのが、結婚生活なのです。
結婚して一緒に暮らしてみて初めて気づく色々な違い。
食事をするときにテレビをつけるかつけないか、食事中に飲み物を飲むか食後に飲み物を飲むか、洋服を脱ぐときは裏返すかそのままにするか、などなど。
細かいことですが、家の中での行動における自分の常識=育ってきた家庭の常識、なので、育ってきた環境が違えば当然常識も違ってきます。
「自分の中では当たり前のことでわざわざ注意するまでもない家の中のルール」が赤の他人の配偶者によってことごとく破られていくのです。
なんで食事中にテレビを見るの?そんなの行儀が悪いじゃない!食事中はテレビを見ないのが常識!と言っても、食事中はテレビを見ながら食べていた家庭で育った人にとっては真逆。なんで食事中にテレビを見たらいけないの??となりますよね。
家庭内での常識が一人一人違うので、「そんなの常識じゃない!」は通用しないのです。新婚のうちは、これを何度も繰り返すことになります。なかなかストレスがたまりますね。
一緒に暮らして何度も何度も衝突をして、時間をかけて新しくその夫婦の家のルールができあがっていくのですね。

赤の他人

縁もゆかりもない全くの他人に対して言う表現が「赤の他人」です。「二人は瓜二つの顔だが、実は赤の他人同士である」という具合に、素性が関係がないことを強調している表現であります。それまで旧知の仲だった間柄だった同士が仲違いをしてしまい、関係が修復不能に陥った時「あいつとは最早赤の他人だ」と決別の意を表すつもりで言ってしまう場合がある様です。お互いに感情が先に立ち冷静さを失ってしまい、勢いで言ってしまい後で後悔する事もままあります。全くの初対面に赤の他人というと少し希薄な印象を持たれ易く、意図的に使用を避ける時もあります。「赤」というのが仏前にお供えする浄水「閼伽(あか)」というのが語源になっているのも、そう連想させる要因になっているのでしょう。冷たい態度を連想させてしまうのが「赤の他人」という表現であり、身内からもしそんな言葉を浴びせられたら相当相手を怒らせたと思った方が良いと思います。それ位厳しい表現であり、身内や知り合いには出来れば使用したくない表現と言えます。自分にとって何の支障もない他人であれば、どうという事もないかもしれませんが、やはり少しでも見知った相手には言われたくないし使いたくない言葉なのです。