棒ほど願って針ほど叶う

【漢字】棒ほど願って針ほど叶う
【読み】ぼうほどねがってはりほどかなう
【意味】棒ほど大きな願いがあっても、針ほどの小さい願いしか叶わないことから、望みがなかなか叶わない時に使う言葉。
【例文1】会社を大きくしたい野望があるが、維持していくのが精いっぱいで棒ほど願って針ほど叶う。
【例文2】金持ちになりたいが、実際は生活していくだけで精いっぱいで棒ほど願って針ほど叶う。
【例文3】富士山に登りたいが、体力が持つかどうか棒ほど願って針ほど叶う。

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棒ほど願って針ほど叶うのは、まだマシなほうです。

願いや希望が叶えられるには相応の苦労や対価、さらには運まで必要な場合すらあります。
世間は厳しいもので、棒ほど願って針ほど叶うどころか合格以外は不合格、当たり以外はハズレ、苦労が全く報われないことなどしばしばです。
そもそも要求に満たない品を持ち込まれて、全額とまではいかないまでも査定して支払いに応じるのは買い叩きが日常的に行われる古道具屋くらいです。
針ほどにでも叶うことが約束されるならば、その分を割り増しでギリシャ神殿の石柱のごとき巨大な棒を願えばよいことになります。
大志を抱けという言葉がありますが、志を立てた少年たちの群れから夢を実現できる人間のなんと少ないことか。
途中で諦めなければ夢はいつかきっと叶うなどいうのは無責任というものです。
現実を見定めた上で、すっぱりと諦めるというのも勇気ある正しい選択といえるでしょう。
さて、ここまで説得されて尚且つ夢を諦めないといえる人はどれくらい残っていますか。
親・家族・親戚・友人、親しい仲であなたの将来を真剣に考えてくれる人ならば叶うかのせいが低い無謀な選択はするべきではないと助言するのは当然といえます。
周囲の意見や反対を押し切っても突き進むだけの強い意志がなければ、世間の荒波を乗り越えることなど到底不可能です。
まあ家族を説得する程度のことは簡単な第一関門でしかないのです。
そこそこ平坦で楽とまで言わなくても何とか進める道のほうがお奨めですが、あえて苦難の道を選ぶならば幸運をとしか贈る言葉はありません。