牛に引かれて善光寺参り

【漢字】牛に引かれて善光寺参り
【読み】うしにひかれてぜんこうじまいり
【意味】長野県にある善光寺近くに住んでいた欲深い老婆が持つ布が、牛の角に引っかかったので、追いかけて行くうち善光寺に辿り着き参拝するうち、信仰したという民話から、思ってもいなかったことや他人の誘いによって、良い方向に導かれること。
【例文1】誘われた社交ダンスを始めてから、牛に引かれて善光寺参りがきっかけで、健康的に痩せてきた。
【例文2】明るい性格の友人といると、牛に引かれて善光寺参りでこっちまで自然に笑顔になる。
【例文3】誘われて入った教室がボケ防止で牛に引かれて善光寺参り。

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ずくだして、牛に引かれて善光寺参り

長野の方言で、「ずくをだす」という言葉があります。
不精なめんどくさがり屋に対して「ずくだしなさい」となどと使う言葉で、一般的な言葉ではずく=一生懸命・根性・やる気、などの意味に置き換えられます。
また、有名なことざわに「牛に引かれて善光寺参り」という言葉がありますよね。
この言葉は元々、信仰心がなく傲慢な老婆が布を盗んだ牛を追いかけていくうちに善光寺にたどりつき、その牛が菩薩の化身だったことに気付いて信仰心をもったことで極楽浄土を遂げた、という言い伝えからできた言葉です。
たまたま出会った縁や、起きた出来事もそれは何かしらの「必然」であり、そこに導かれて得たものを素直に受け入れていけば、自分の心と向き合って今後のやるべきことも見えてくる、そんな風に解釈することもできますね。
私の出身地でもある長野県の善光寺は、毎年多くの参拝客でにぎわいます。
どんな宗教も受け入れてくれるこの地は、肌の色や目の色、言葉や生い立ち関係なく自分と向き合える場所でもあるのです。
もしまだ善光寺に来たことがない、という人がいるならば、ぜひ来ていただきたい。
長野の方言で言えば「ずくだして、牛に引かれて善光寺参りに出かけてね(出かけてね、はおいでね、の意味)」といったところでしょか。

昔話「牛に引かれて善光寺参り」

「牛に引かれて善光寺参り」とは思いがけず他人に連れられてある場所へ出かけることまたは他人の誘いや思いがけない偶然で良い方向に導かれることのたとえです。これは善光寺にまつわる昔話が元になっています。昔信濃の国の小県の里にケチで信仰心のない老婆が暮らしていました。ある日軒下に干そうとしていた布をどこからかやってきた牛が角に引っ掛けて走り去ってしまいました。腹を立てた老婆は牛を追いかけて善光寺の金堂前に辿りつきましたが牛の姿は見えなくなってしまったそうです。日も暮れてきてお堂に入った老婆は光明に照らされた牛のよだれが「牛とのみ思いすごすな仏の道に汝を導く己が心を」と読めました。老婆の心には信仰心が芽生えその夜は善光寺で念仏を称えながら夜を明かしました。家に戻りこの世の無常を嘆いて暮らしていた老婆がある日近くの観音堂へお参りすると牛が引っ掛けて逃げた布が観音様の足下にありました。老婆はあの日の牛はこの観音様の化身と知りますます善光寺への信仰を深め極楽往生を遂げました。この観音様が布引観音と言われている観音様で長野県小諸市にある天台宗名刹行基創建の断崖絶壁にかかる観音堂に安置されているそうです。