論陣を張る

【漢字】論陣を張る
【読み】ろんじんをはる
【意味】論理を構成して議論する。
【例文1】証拠書類を揃えて論陣を張る。
【例文2】会議で堂々と論陣を張る。
【例文3】わかりやすく論陣を張る。

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論陣を張る

話の論点をうまく組み立てて、議論を展開する事です。
使い方としては「評論家にひるむ事なく、論陣を張る」という具合です。
様々な事に精通している人が出来そうな振る舞いではないかと思います。基本、教養の足りない方には難しい事ですし、また頭の回転が良い人でないと出来そうにない行動であります。そもそも論陣という言葉が普段あまり使用しない用語であり、意味が「論の組み立て」すなわち話の道筋を上手に考えられる事です。それを用い、その筋の達人と互角に議論をするのだから、それはもはやその人自身も達人の域にいられる訳ですね。
ちなみに、「論陣を張る」がいつの間にか「論戦を張る」と使う方が多くなったらしく、論戦は「張る」のではなく「交わす」が正しい使い方です。話を戻すと達人同士の議論なら、はたして凡人にその話の内容や議論の正しい着地点がどこであるかなど当人同士しかわらないのではないかと不安になり、どうしても置いてきぼり感が否めません。それほど論陣を張るは、どこか頂上決戦の様相を想像してしまいます。自分よりも明らかに知識が豊富な方に議論を挑むのは中々出来る事ではないし、ましてや互角に渡り合うなど尋常な事ではありません。

「論陣を張る」ことで成長した松下村塾の塾生たち

「論陣を張る」というのは論理を組み立てて議論をする。弁論を戦わす構えをするという意味です。この言葉で思い起されるのは、幕末の長州藩にあった、松下村塾です。松下村塾は吉田松陰の叔父の玉木文之進が開いた私塾で、武士の子息しか入れなかった、藩校とは違い、学問をしたい者は農民の子であっても、町民の子であっても誰でも受け入れました。吉田松陰がそこで実際に教えたのは2年半ほどだったと言われていますが、その影響力は計りしれないものでした。松陰の教えは勤皇思想を主軸として、兵法、史学、儒学、孟子など多岐に渡っていたものの、一方的に授業をするのではなく、対話を重視したと言われています。時には、一緒に農作業をするなど、考えたことを実行することが大切だという教えを体現しました。NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」で松下村塾が出ていた時も、随分と若者たちが議論していることに驚きました。現在でいうところのディベートです。私塾といえども学校なので、どうしても先生が中央で、講義をし塾生は粛々とメモを取るというような方式を思い描いていたので、そのやり方は目からウロコ状態でした。塾生同志が「論陣を張り」主張することで、主軸となるものがはっきりとし、自分が何を行うべきかを考え使命として行動したのが、松下村塾の塾生でした。高杉晋作、日下玄瑞、伊藤博文など優秀な人材を輩出したのも頷けます。