無駄足を踏む

【漢字】無駄足を踏む
【読み】むだあしをふむ
【意味】苦労してやった事が無駄に終わる。
【例文1】2浪して入った私大を辞め無駄足を踏む。
【例文2】そんな事したって無駄足を踏むだけだ。
【例文3】せっかく出向いたのに定休日で無駄足を踏む。

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無駄足を踏む価値

若い頃、メーカーの営業をしていました。
当時は超就職氷河期で民間企業はたいてい事務などの仕事はほとんど派遣社員に任せており一般職、という業種自体がほとんどなくなっていました。
女性といえども文系の大学に来る求人は九割以上営業職か販売職で、私も自分の適性に疑問を持ちながらも営業職で社会人スタートを切りました。
沢山の得意先を何度も回りましたが、不景気でしたし、慣れない新人の営業トークで新規の契約をしてくれる人などなかなかいません。営業に出掛けて断られる度、無駄足を踏んでいるだけじゃないかといつも思っており、つい会社の先輩の前で口にしてしまいました。
その時、先輩から無駄足を踏むことに価値があるのだと言われました。
いきなりトントン拍子に契約にこぎつけるのはラッキーだけど、それでは相手の本当の要望を汲み取り損ねる事もある、結果的に長く契約し続けてくれる相手は、何度も断られ、何度も無駄足を踏まされた相手で、そういう相手に対しては断られるうちに言葉にしない要望を汲み取れるようになり、サービスがきめ細かくなり、信用されるのだと話してくれました。
今にして思えば使い古された慰めですが、当時は目からウロコでした。
それからは断られる度に切り口を変えて営業し、無駄足を踏むことを相手を知るための貴重な経験と捉えるようになりました。
その後は徐々に営業成績が伸びていきました。
無駄足を踏むことの価値、有難さを思い知った、心に残る思い出です。

無駄足を踏むことも大切なこと

せっかく苦労して行動してみたのにそれらのことが無意味に終わることを無駄足を踏むと言います。
本来、どちらかというと悪い意味で使われる言葉なのですが、無駄足を踏まない人生なんていうものがありえるでしょうか?
たとえば、科学の進歩というのは多くの科学者によるまさに無駄足とも言える努力によって成し遂げられてきたものです。賞をとったり、実用化したりという陰で多くの無駄になった仮説や実験が存在しているのです。
企業においても無駄足こそが成長を遂げるための原動力になります。無駄足を許す土壌が新しいイノベーションを準備するのです。全く無駄のない企業というのはその瞬間はいいかもしれませんが、市場に新しい価値観を提示することができないので、将来的には縮小していく運命です。
人生における青春時代もほとんどが無駄足を踏むようなことの連続です。ただ、多くの無駄足を踏んだ人はそれを経験として蓄積することができます。青春時代にどれだけ無駄足を踏んだかによって、社会人になってからの成長に違いが出てくるのです。
人生において無駄足を踏むことは無駄ではない、というのが結論ですね。無駄足を踏むことを恐れずに、長く広く複雑な人生を乗り切っていきましょう。