見得を切る

【漢字】見得を切る
【読み】みえをきる
【意味】歌舞伎役者が決めポーズをする。良いところを見せようと意気込む。
【例文1】後輩の前で見得を切って全員分のご飯をおごる。
【例文2】見得を切って彼女に高級バッグをプレゼントする。
【例文3】気に入った女性の前で見得を切る。

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 歌舞伎がルーツの「見得を切る」の「見得」はストップモーション

見得を切るとは自分の自信を見せつけることです。
見栄を張ると似ている感じもしますが、見得(みえ)と書くのです。
歌舞伎役者が最後の決め所で凛々しい顔して指を広げ腕を前に出すポーズが見得を切ると言えます。

わたしも見得を切った性格で収入が多くないにも関わらず、好きな人の前では
高い物を身につけたりご飯に誘って余裕な態度でお代を済ませます。
しかし、その裏では必至で倹約です。煙草もやめ、夜中の間食も控えます。
毎日のビールは2本から1本に我慢です。しかし健康にもいいのでこれをきっかけにこのままいけそうです。
先日、上司から休日出勤のお願いが出ました。誰も出たがりませんので、ここは私が見得を切って挙手して社内の女子社員の株を上げようとしました。金欠だったので内心ほっとしました。

見得を切るとは

「彼は課長の前で『今回の交渉は私に任せてください』と見得を切っていたけど、ほんとうに大丈夫かな」というような使われ方をする「見得を切る」という言葉。なんとなくわかってはいるけれど、正確な意味や使い方がいまいちわからないという方も少なくないでしょう。
かんたんに言えば、「自分の力を人に誇示して、いいところを見せようと意気込むこと」という意味になります。そこには少々否定的なニュアンスがあり、「ちょっと無理をしている」という含意があると考えていいでしょう。
冒頭の例でも、見得を切った人を、同僚が心配しているわけです。
さて、この言葉、そのルーツは歌舞伎にあります。歌舞伎芝居の中で、クライマックスシーンや役の感情が高揚したようなシーンで、役者が美しい、あるいは力強いポーズを作って静止することがあります。このストップモーションが、「見得」という、歌舞伎独特の演技技法なのです。
テレビで人気役者の市川海老蔵が、大きく見開いた目を寄せて形を決めたシーンを目にしたことのある人もいるでしょう。あれが「荒事」と呼ばれる歌舞伎芝居のジャンルの「見得」です。
つまり、歌舞伎では特に観客に強く印象付けるための演技テクニックだったものが、一般的に使われるようになって、「見得」には「ちょっと無理をしている」というニュアンスが生まれたということになるでしょう。
なお、混同しがちですが、「見得」は「切る」ものであり、「見栄」は「張る」ものです。
「見栄」には「虚栄」の意味が強くなりますから、「見得を切る」よりもさらに否定的な意味になると考えていいでしょう。

「見得を切る」と言えばこの人

「見得を切る」見得と書く「ミエ」は「歌舞伎などの演技で役者が動作や感情の頂点に達したことを表現するために、一瞬止まって独特のポーズをすること」で、「見得を切る」の意味は「俳優がミエのポーズをすること、転じて相手に対して自分を誇示するような態度をとること」です。たぶん「見得を切る」と言われたら八割以上の人が歌舞伎を思い浮かべるのではないでしょうか。その中でも市川家が代々守ってきた見得の切り方、表情をにらみとも言います。市川家の特に團十郎に睨まれると邪が払われ福運がつく縁起物だと言われます。市川團十郎は市川系宗家の歌舞伎役者で屋号は成田屋です。初代が市川家のお家芸でもある荒事という演技を確立しました。その初代市川團十郎は子供になかなか恵まれず、成田山新勝寺に願掛けにきたところ、子供が授かったということで、お礼の意味を込め屋号は成田屋とし、毎年欠かさず参詣し、市川家のお祝い事は成田山新勝寺で行っています。その際は一族の役者が勢ぞろいして参道を練り歩く「お練り」も見られます。市川團十郎の見得は新勝寺のご本尊の不動明王像にヒントを得たと言われ、不動明王様の眼がギョロリと剥かれ、片方の黒目が正面を向き、もう片方の黒目は余所を向いています。やぶにらみ状態です。その睨みを取り入れているのです。勧進帳の弁慶や助六など市川家の決めた歌舞伎十八番での見得を切る様は、昔も今も市川家に受け継がれ、客を魅了しています。