弘法にも筆の誤り

【漢字】弘法にも筆の誤り
【読み】こうぼうにもふでのあやまり
【意味】どんな名人でも間違えることはある。自分よりも目上の人が失敗して慰める時に使う。
【例文1】大女優でも弘法にも筆の誤りで、台詞を間違える事だってある。
【例文2】体育教師でも弘法にも筆の誤りで陸上選手には勝てないよ。
【例文3】現役選手には弘法にも筆の誤りでOBも敵わない。

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「弘法にも筆の誤り」の弘法大師の井戸

「弘法にも筆の誤り」とは、「学問や芸事に秀でたものも、時には誤りがあるということ」の例えです。「猿も木から落ちる」も同じ意味の言葉です。弘法大師は空海の諱です。空海は讃岐に生まれました。平安時代初期の僧で真言宗の開祖でもあります。長安で密教を学び2年後に帰国して、高野山に金剛峯寺を建立しました。真言というのは大日如来の真実の言葉のことを指し、その呪法の伝授、習得により悟りを開くという教えですが、奥義が秘奥なことから密教と呼ばれています。また、真言宗では山奥に伽藍を置き、山中を修行の場としたことから、従来の山岳信仰を結びつき修験道の源流となりました。弘法大師は全国各地を布教のために回っておられたといわれ、各地に弘法大師の逸話が伝承されています。千葉県館山市にも旅の僧を手厚く迎えた農民が僧に「何か困ったことはないか」と聞かれ、「井戸が干上がって困ります」と答えたところ、持っていた杖を三回地面について、「ここを掘るように」言いました。その場所を掘るとコンコンと清水が湧き、どんな日照りの夏でも枯れることがないという「弘法の井戸」伝説があります。全国の弘法大師の逸話の中で一番多いのが、この「弘法の井戸」伝説だそうです。弘法大師は日本の三筆の一人ですから、「弘法にも筆の誤り」という言葉が生まれたのです。