痩せても枯れても

【漢字】痩せても枯れても
【読み】やせてもかれても
【意味】どんなに落ちぶれても衰えても志は持ち続ける。
【例文1】年を取って以前のように走れなくなったが、痩せても枯れてもウォーキングは欠かせない。
【例文2】痩せても枯れても経営者としての意地を持つ。
【例文3】痩せても枯れても婚活を続ける。

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「痩せても枯れても」を体現した蝶々夫人の生き方

「痩せても枯れても」は「どんなに衰えても。どんなに落ちぶれても」という意味です。この言葉で連想するのは「蝶々夫人」です。「蝶々夫人」はアメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングの短編小説を劇作家デーヴィッド・ベラスコが戯曲におこし、さらにそれらをもとに制作されたジャコモ・プッチーニ作曲のオペラです。オペラに興味がなくても、蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」は聴いたことがあるという方も多いと思います。
アメリカ海軍の士官ピンカートンは日本人の少女と結婚することになり、その結婚式で出会ったのが芸者をしている蝶々さんです。蝶々夫人との間に子どもを授かりますが、3年後に本国に帰ってしまいます。そしてあろうことかアメリカ人の女性と結婚するのです。その事実を知らない蝶々夫人はひたすら夫を信じて、周囲の疑念を一笑しながら帰りを待ちます。ところがピンカートンは日本に妻を伴って現れ、「蝶々夫人との間の子どもを引き取ってアメリカで妻に養育させることにした」と、卑怯なことに自分では告げず、妻に話させる始末。周囲は芸者に戻って子どもを育てる道もあると勧めますが、芸者に戻っては子どもに恥をかかせると言って、子どもに目隠しをさせ、両手に日本とアメリカの国旗を持たせておき、自分は自刃します。最期まで子どもに手をのべながら。という筋立てですが、彼女こそ「痩せても枯れても」ピンカートンの妻としての、子どもの母としても誇りを捨てずに散った花だったと思うのです。