ほうほうの体

【漢字】ほうほうの体
【読み】ほうほうのてい
【意味】散々な目に遭ったり、恥ずかしい思いをして慌てて逃げ出そうとする様子。
【例文1】大勢の前で、自転車で転んでしまい、ほうほうの体だ。
【例文2】痴話げんかがヒートアップして周囲から見られほうほうの体だった。
【例文3】世間知らずでほうほうの体だ。

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 ほうほうの体でも、逃げ延びられた理由とは

ほうほうの体の「ほう」は「這う(はう:地面に手足をつけて前進する)」で、這うような格好でという意味です。
なにゆえ這うような格好をするはめになったかと推察するに、コテンパンに負かされて命からがら逃げ延びたと言ったところでしょう。
這うことしか出来ない状態での逃走など、追撃されたらひとたまりもありません。
勝った相手が余裕を見せて見逃したか、玉砕覚悟で殿(しんがり)を努めた誰かがいたか、はたまた逃走に全力を使い這う程度の体力しか残らなかったのか。
例え比喩表現であっても惨めに敗北した後の苦しい逃走をしたことに違いはありません。
一か八か玉砕覚悟で最後の決戦など愚の骨頂、生き延びてこそ再起が図れると言うものです。
勝負事でも、中途半端に負けるくらいならばと一発逆転狙いで破産する人もいますが、それは無策を通り越した愚かさです。
それまでの戦況を覆すほどの策があるならば既に実行しているはずです。
成功する可能性もほとんど無く、失敗して自らにトドメを刺すことは疑うべくも無いでしょう。
負けても損失をなるべく抑えて次につなぐことは当たり前なのですが、実行できる人は少ないです。
命がかかっている状況ならば少しは慎重になるのでしょうけれど、財布の中身がかかっている程度では無謀な蛮勇を発揮する愚者は後を絶ちません。
そのくせ敗北しても懲りずに同じ失敗を繰り返すのですから全く始末におえないというものです。

修羅様をくぐる体験は必要です

社会人人生で、何度か修羅場をくぐってきていますが、ほうほうの体で何とか逃げてきた経験はないですし、なかなかありません。
ただ高齢の方々は戦争という痛ましい体験をされていらっしゃいますので、ほうほうの体で逃げていらしたこともあると思います。
戦争体験を聞くというのは、大事なことです。
今でさえ、世界各地では内戦が続いており、たくさんの方が犠牲になっています。
日本では第二次世界大戦以降、戦争は怒っておりませんし、ある種平和ボケをしていることもあります。
平和の尊さを改めて学ぶ機会がなかなかない中で、高齢者の方々からの戦争体験を聞くのは平和とはどのようなものかを改めて考えさせられる時間であると思います。
私は父から戦争体験を聞きました。
ほうほうの体とは、這う這うの体ともいいます。
まさに這って防空壕に逃げたことを聞くたびに、日本で戦争が勃発したらどうなるか、想像もつきません。
一方で、最近の北朝鮮の動向が大変気になります。
ミサイルも日本海に向けて幾度となく発射されていますが、アメリカが仮に北朝鮮を攻撃するとなると、たちまち日本も戦争の惨禍に陥ることも可能性としてあるかもしれません。
このようにならないように、話し合いをもち、対応して欲しいものです。