鰯の頭も信心から

【漢字】鰯の頭も信心から
【読み】いわしのあたまもしんじんから
【意味】イワシの頭のお供え物でも信ずる気持ちがあれば尊いものである。
【例文1】初めて彼女が作った手料理は決して美味しいとは言える物ではなかったが、鰯の頭も信心から愛情がこもっている。
【例文2】子ども達からの募金は鰯の頭も信心からで真心がある。

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鰯の頭も信心から

鰯の頭も信心からとういう言葉があるそうです。
私は知らなかったのですが、意味はイワシの頭のようなつまらないものでも信仰をすれば尊いものになるということで、信仰心の不思議さをたとえているらしいです。
世の中には色々な人がいるので、いろいろな宗教や信仰があり、また神なんていないと思う人もいます。
今の日本では信仰心というのは比較的少ないように感じますが、どんな人でもここぞというときは神さまや仏さまというものに救いを求めることはありますよね。
とくに受験だったり、日ごろは神社に行かない人でも合格祈願のお守りをいただいたり、安産祈願など命に係わる時もお祈りしたりしますよね。
やっぱり、人って強い時もあるけど弱い部分はありますよね。
なので、最後は神という存在を求めるんですよね。
それがいけないというわけではないし、むしろ私は人智を超えた存在に敬意や畏れは大事なように思います。
そうすることで、傲慢さを持たずに人間なんてしょせん動物の一種で自然にはかなわないということを感じられると思うのです。
昔から、日本では八百万の神と言って、身近なものから山や海などたくさんのものに命が宿っているという考えはとても素敵ですよね。

鰯の頭も信心からと思うことはよくあること

人というのは不思議なもので、信じる気持ちがあればどんなものでも尊く見えてくる生き物です。歴史の中に出てくる有名な偉人であっても、占い師からの助言で奇妙なものを信仰していた、という人だってたくさんいます。学生時代に日本史や世界史を勉強していて「どうして昔の人はこんなものを神と崇めていたのだろう」と疑問に思ったことがある人もいるかもしれません。ですが現代の人だって、様々なものに信仰を寄せているのではないでしょうか。

信仰を寄せるというと仰々しいかもしれませんが、意外と些細なものに信仰を寄せているように思えます。たとえば受験のシーズンになると、食品会社が合格祈願とかけあわせた商品を発売しますよね。そしてそれらの商品は毎年、売り出されています。毎年売り出されているということは、つまり毎年需要があるということです。ではどんな人に需要があるのかといえば『合格したいと願っている人』ではないでしょうか。その商品を買ったからといって、必ずしも合格するわけではありません。それでも買うということは、その商品に信仰を寄せているということに他ならないでしょう。鰯の頭も信心からともいいますが、このようなことは多々あることだと見受けられます。何かに気持ちを寄せることで少しでも楽になるのなら、小さなものに少しだけ頼ってみたって良いかもしれませんね。