憎まれっ子世にはばかる

【漢字】憎まれっ子世にはばかる
【読み】にくまれっこよにはばかる
【意味】憎まれている人こそ権力があり、世間で認められられるもの。
【例文1】彼女は憎まれっ子世にはばかるで同期を差し置いて出世した。
【例文2】どう思われるかをいちいち気にしていたら憎まれっ子世にはばかる事はできない。
【例文3】政治家が憎まれっ子世にはばかる。

憎まれっ子世にはばかるをテーマにした記事

憎まれっ子世にはばかるの意味は?

「憎まれっ子世にはばかる」よく耳にする言葉です。
人から憎まれるような者ほど、逆に世間では幅をきかせるものであるということです。
なぜ憎まれっ子のほうがいいのでしょう。人から敬遠される、嫌われるような人は周りの人間と調和がとれなかったり、自己中心的であったり、その場の空気をよまなかったり原因はいろいろあるかと思います。でも逆に考えたら人に流されず自身の考えを持っていて、周りからの誹謗中傷も気にしない図太い神経の持ち主ということになります。
世間で生き抜いたり、出世するにはやはり周りと同じでは秀でることはなかなかできません。今はオリジナリティを企業でも求められる時代です。そこに図太い神経を持ち合わせていて、メンタルが壊れることもなくストレスを貯めない人材であればもしかしたら、今企業が一番欲しい人材なのかもしれませんね。
ただ凡人がまねてもただの嫌われ者で終わってしまうかもしれませんが。天性の憎まれっ子がいたら、それは金の卵で将来は大物になる可能性大です。

「憎まれっ子世にはばかる」から学ぶ処世術

わがままで自己中心的、人に遠慮がなく、思いやりがない、そんな人間が得をするシチュエーションって意外に多いように思います。
会社でもそうだし、日常生活の中でもそんな風に思う瞬間と言うのはたくさんありますよね。
ろくに仕事しないくせに部下の功績は自分のもの自分の失敗は人のせいにする会社の上司、電車で我が物顔で荷物を自分の席の横において大股広げて座っているおじさん、
スーパーでクレーム言って厚い待遇を受けるおばさん、もううんざりするほどよく見る光景です。
私はそういう光景を目にするたびに「自分はこうはなりたくない」と思ってきましたし、そういう人たちにも嫌悪しかありませんでした。
でも、最近は少し見方が変わってきたんです。
彼らほど自由に、遠慮なく、楽しく生きている人種って他にないなぁ、と。見習おうってわけじゃありません、人に迷惑をかけてまで自分の意思を通したいとは思いませんし、
やっぱり「憎まれっ子」にはなりたくないわけです。
でも彼らは自分たちが「憎まれっ子」だとは微塵も思っていません。かといって誰かに好かれようと必死で自分を押し殺しているわけでもありません。
自分らしくいながら、自分はそこそこ他者ともうまくやっていけている、そう思っているわけです。
なんともうらやましい話ではないですか?
誰かの目を気にしすぎて悩んだり、SNSや匿名で受けた悪口を苦に命まで絶ってしまう悲しい現実が日本にはたくさんあります。
そのほとんどのケースは人間関係のトラブルと言っていいでしょう。
だからこそ私は「憎まれっ子世にはばかる」の「憎まれっ子」の根性にこそ、この厳しい現代を生き抜く処世術が隠されていると思えてなりません。
完全な憎まれっ子になるのは嫌ですが、すこーしだけ彼らの爪の垢を煎じて飲んでみるのも良いかもしれませんね。

憎まれっ子は本当に世にはばかるのか

「憎まれっ子世にはばかる」という言葉があります。
憎まれているくらいの人の方が世間に名をとどろかせる。みたいな意味があるのですが、果たして本当にそうでしょうか。
部内にデリカシーがなくとにかく空気が読めない男性社員がいますが、彼が出世街道を歩くとは到底思えないし、部内で仕事をゴリ押ししようとする強引な人がいますが、彼もまた出世街道を歩くとは思えません。
いずれにしても人が付いていかないように思います。
社外に目を向けても、憎まれっ子とされる人が世にはばかるとは思えないのですが果たして本当なのか、なにを根拠にそう言っているのかこの言葉の定義などが気になります。
どちらかというとわたしも憎まれっ子とされる方だと思います。
言いたいことを言うし、思ったことを言います。
言わないと伝わらないからです。
もちろんその言い方や伝え方には気を遣うけれど、それも結局はわたしの俯瞰であり、聞き手にとってはきついもの言いになっているかもしれません。
割り込みをされたらきちんと後ろに並ぶように言うし、不正をしているような人にはきちんとやめるように言うのできっとたくさんの人に煙たがられていると思います。
・・・子供からは「お母さんよくまだ生きてるよね」と言われます。