枯れ木に花

【漢字】枯れ木に花
【読み】かれきにはな
【意味】一旦衰えたものが再び栄える。
【例文1】マンション建設で地元の商店街が枯れ木に花だ。
【例文2】保育園建設で高齢地域が枯れ木に花だ。

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枯れ木に花を咲かせましょう

子どもの頃に聞いた昔話で、「花咲か爺さん」があります。
お爺さんが灰を枯れ木に撒くと、そこにキレイな桜の花が咲いたというところだけは良く覚えています。

現実では枯れた木に再び花を咲かせるのは難しいことだと思います。
しかし、大人になって改めて考えてみると、もしかしたら表面上は枯れているように見えても、実際は完全には死んではいなかったのだと思います。

そう考えると、どんなことでも可能性は残っていて、予想もしない復活を遂げるかもしれません。
可能性は0か100ではなく、諦めずに続けることで、100に近付けるのかもしれません。

起死回生という言葉がありますが、復活する前の状態は意外と瀕死に近い状態なのかもしれません。
しかし、それはこれから大きく復活して成長していくために助走期間なのかもしれません。

大きく前進するためには、その分大きく後退して助走をつける必要があります。
今の状態が仮に良くなかったとしても、それだけで判断しないように気をつけたいものです。

復活して大きく羽ばたく前の準備期間だと思えば、例え枯れ木のように見えても、再び活躍することを期待することができると思います。

花咲か爺さんは善良な人で良い行いもたくさんやってきました。
やはり日頃の行いが、いざという時に奇跡のような幸運をもたらしてくれるのだと思います。

枯れ木に花と言うように、再燃した将棋熱

私は小学生の時将棋が好きでした。しかし中学に入り部活が忙しくなると自然と将棋盤に向かうことはなくなりました。
ところが最近、加藤一二三九段や藤井聡太四段が頻繁にニュースになり、また将棋をしてみようかなという気持ちになって枯れ木に花のように将棋に再びハマりました。
最初は駒の動かし方も怪しかったのですが、今はインターネット対局やツイッターの無料に詰将棋もあるのですぐにカンを取り戻しました。
日曜の午前中はテレビ対局を観戦し次の手を予想したりしながら、ゆったりとした時間を過ごしています。羽生善治棋聖佐藤天彦名人など、スター棋士がどんどん出てくるので面白いです。
父親と対局するのも楽しく、その様子を見た母も将棋を始めました。今では冷蔵庫にマグネットの将棋盤を貼って、料理の合間に対局を楽しんでいます。
今は家で楽しんでいるだけですが、将来的には将棋のイベント会場に出向いてプロの指導対局を受けたり、将棋教室に通ったりしてみたいです。幸い同県にアマチュアの強豪の方がいるので楽しみです。
将棋をしていることで、集中力がつき毎日コツコツ努力することの達成感もあります。年を取ってもできるゲームなので、生涯の趣味としたいと思います。

枯れ木に花

言葉の通り一度枯れた木が再び生を取り戻し、花を咲かすまでに回復する様を「枯れ木に花」と言います。「あり得ない事が起きる」や「現実出ない事が起こる」など意味は様々です。この言葉で日本人なら誰でも思い出すのは、やはり「花咲か爺さん」という昔話でしょう。正直じいさんが飼っていたポチという犬が示す場所を掘るとお金が出て来て、欲張り爺さんがポチの示す場所を掘るとガラクタしか出て来ない。怒った欲張り爺さんはポチを燃やすという暴挙に出ますが、ポチの死を憂いた正直じいさんが枯れ木に遺灰を撒くとパッと花が咲き乱れ、欲張り爺さんだと何も起こらず殿様の怒りを買って罰せられるお伽話です。枯れ木に遺灰を撒く掛け声がまさに「枯れ木に花を咲かせましょう」でしたから、あまりにも聞き慣れたフレーズというしかありません。総じて先に述べた意味としてこの言葉が切り取られ、用語になっているのは不思議な気分です。復活を意味する言葉として使われているのは納得が行きますし、不当にポチの命を奪われた正直じいさんの悲哀を察したポチが、灰となっても生命の偉大さを「枯れ木に花」を咲かす事で体現する美談であると思うのです。只、何故ポチは正直じいさんだけでなく、欲張り爺さんにもそれなりの利を与えようとしなかったのでしょう。仕返しも程々にしておけば、ポチも命を落とさずに済んだ筈ですから。