一世一代

【漢字】一世一代
【読み】いっせいちだい
【意味】一生のうちで一度あるかないかくらいの見事な出来映え。
【例文1】一世一代の見事な新郎スピーチだったよ。
【例文2】一世一代で家を建てる。

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一世一代の大勝負、それは結婚。

いわゆる結婚適齢期をとっくに過ぎた頃に知り合った我が夫。結婚願望は全くなかったとはいえ、生涯一人で生きていくつもりもないし、子どもを育てて暮らすのもいいな、とは思っていましたが、相手を決めきれずにズルズルと時が過ぎ気が付けばアラフォーになっていたのです。夫が登場したタイミングは素晴らしく、ちょうど長年続けていた仕事も潮時だと感じていたので、夫との結婚話はある意味、逃げ場所になるなと思ったものでした。ただ一つ大きな問題があったのは、夫がまだ離婚が成立していなかったという点。別居はしていたものの、相手がなかなか離婚に応じなかったのです。こんなややこしい人と結婚しても、元妻との確執やら、子どもの存在やらでややこしくなることは目に見えていたので私の家族は大反対でした。結局無事に離婚は成立したものの、同じ時期に私が過去一番結婚したいと願っていて振られた人から復縁の申し出がありました。夫と知り合う前なら二つ返事で復縁したのでしょうが、そういうわけにもいかず、結局私は自分の直感を頼りに、一世一代の大勝負に出たのです。ややこしい方との結婚、案の定というくらい、元妻や子どもの事で揉めまくりましたが、私と夫との間にも無事子どもが生まれ、今は家族三人平和に暮らしています。大勝負に出て良かったな、そんな気持ちです。

一世一代

後にも先にも誰にも真似の出来ない事を、やってのける大胆な行動を良くも悪くも評して言うのが「一世一代」であります。「一世一代の大勝負」や「一世一代の大博打」など、その大胆不敵さに敬意を表し、そう言ってしまいます。この表現は自分で言う時もあり、時に人から言われる事もあって常にどちらか一方が発言するとは限りません。揶揄の意味で「一世一代の大バカ者」と評される人もいれば、「一世一代の晴れ舞台」という羨望の視線を浴びる人にも使用するのですから、多様な仕用が可能な言葉なのです。身内はおろか何処にもそんな人或いは仕出かすヤツがいない時こそ、そう表現するのです。そんな事をするのはとんでもない天才か大馬鹿かと、常識では測れない奇抜な行為をやってのける人にこそふさわしい称号と言ってい良いかもしれません。常識の枠内で生活する者では、到底出来ない事をするのは難しいですし、何より凡人はどうしても成功より失敗のリスクを先に考えてしまいがちです。後の事は後で考えれば良いというのが一世一代な人であり、一昔前にいた「宵越しの金は持って帰らない」と言う人の中に、一世一代な事を可能にする逸材がいると思います。評価が分かれる所業もあったりしますが、人生は一度きりです。誰にも真似の出来ない仕事をして「一世一代の〇〇」と呼ばれるのも悪くはないかもしれません。