果報は寝て待て

【漢字】果報は寝て待て
【読み】かほうはねてまて
【意味】努力してやるべき事をしたらあとは落ち着いて結果を待つのがよい。
【例文1】高校受験の合否は果報は寝て待て。
【例文2】採用の合否は果報は寝て待て。

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「果報は寝て待て」の本当の意味

「果報は寝て待て」という言葉の意味は、何もしないで寝ていれば良いことがやってくるということではなく、やるべきことはやって、良い時期が来るまで待てというような意味のようです。

確かに何事も最善を尽くすことは大事なことです。
しかし、さらに先のことを案じて、あれこれ考えすぎることは良くないのだと思います。

不安は先のことを考えすぎると、余計に大きくなってしまうものです。
日々、悔いの残らないように、一生懸命にやっていれば、いずれ好機がやってくると思って、ある意味楽観的に構えていたほうが良いのかもしれません。

好機も求めすぎると、それはそれで単なる欲になってしまいます。
欲が強すぎると人生に失敗してしまうかもしれません。

無欲でいることも人生を成功させるためには、時には必要なのかもしれません。
オリンピック選手でメダル獲得を目指して頑張っていても、思うような結果が残せないこともあります。

しかし、ベストを尽くした選手には笑顔があります。
逆にメダルが取れてもベストを尽くせないと、心からの満足感を得ることができないのかもしれません。

結果は大切なことですが、やはりその前にベストを尽くせたかどうかが重要なのではないかと思います。

果報は寝て待て、私は少し勘違いしていました

果報は寝てまて、ということわざがあります。私は寝ていたら勝手にいいことがやってくるという意味と思い込んでいました。
とどのつまり、寝たきりでもいいことがやってくるみたいな甘い考えと思い込んでいました。
しかし、そもそも果報て何?と検索してして見て果報は寝てまての意味を私が勘違いしていたので恥ずかしいと思いました。
果報、この言葉は先に行われていたいい事の行動の答え、結果の報いという意味です。因みに悪い行動の答えは因果といいます。
つまり、果報は寝てまては寝ていたら勝手ににいい事がやってくるのでは無く、寝る前にいい事をしっかりして、それがすぐにいい事にならなくても寝ていたら果報としてやってくるという意味です。
最近、日頃の苦労の割に報われてないなぁと泣きを入れる事が多いです、しかし、自分の周りにはもっと苦労している人がいて自分は甘いなあとも思いながら日々を過ごしています。
そんな時は自分が頑張っているからいつか果報が来る、だからしっかり睡眠をとる、しっかり睡眠をとることでまたいい気分で日々を過ごして、いい気分で日々を過ごすといい行動もする、いい行動をしたら果報がいつか・・、この繰り返しが人生なのかなあと思いながら果報は寝て待てを考えでいます。