肝(胆)が小さい

【漢字】肝(胆)が小さい
【読み】きもがちいさい
【意味】頼りにならない者。
【例文1】見て見ぬフリした肝が小さい男。
【例文2】大きな図体ばかりで肝が小さい男だ。
【例文3】何も言えなくて肝が小さい。

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肝(胆)が小さい の意味は肝が肝

肝が小さいを良い意味で使う人はいません。
気が弱いとか臆病、度量がないなど、人として残念なイメージの言葉です。
同じような意味の言葉に、肝っ玉が小さいとかケツの穴が小さい、または蚤の心臓などがあります。

肝は話の肝という言葉があるように、大事なところという意味があります。
そもそも肝は内臓の一部ですが、昔は内臓そのものを肝という一文字で表現していたことがあります。
あまり詳しく知られていなかった時代ならではです。
内臓は体の主要部分、中心であることから、根幹とか急所という意味につながったものと思われます。
また肝そのものを精神的な面で捉えていた風潮もあり、ズバリ心とか魂です。
この二つの意味から肝にまつわる言葉がたくさんあるのも頷けます。

肝に銘ずるなら精神的な意味で、心にしっかり刻むということになります。
肝が太ければ心が太い、つまりとても精神的に強い様を意味します。
私的には肝というより肝っ玉という言い方の方が味があって好きなのですが、肝っ玉が大きいとか小さいとか、子どもの頃はよく聞いていたものです。
しかし最近の若い人はそのような言葉を使うのかあまり知りません。
若い人がよく口にするキモッは一見、肝のことかと思ったら、全く違っていました。
時代と共に言葉が簡略化、簡素化されているようで、肝にまつわる言葉もそのうち消えていくのかもしれないと思うと、なんだか寂しく感じます。

肝が小さいと仕事もできません。

肝が小さいという言葉の意味は、非常に度胸がなく頼りないさまのことを言います。
よく肝っ玉が小さいといった言葉でも表現されます。
肝が小さいと、責任のある仕事もできません。
例えば、経営者においても、肝が小さくで、経営判断ができないとなると、会社の行く末を大きく左右してしまいます。
また、最近は評論家のような上司が多く、仕事上の判断ができない方が多いのが実情です。
部下たちが上司の判断を仰ぐべく、色々な情報を仕入れ、まとめて報告をするのですが、その報告からも決断まで時間を要し、結局、その上司の上の上司が判断するというありさまです。
このような評論家のような、またお客様のような上司がなぜ生まれてしまうのかがとても大きな疑問ではありますが、総じて言えるのは、度胸がなく、判断できないということであると思います。
つまり、肝が小さいということです。
このような肝が小さい人は、目先のことや、周りの評価ばかりを気にしてしまう傾向もあります。
テレビ番組で出演されているコメンテーターも、結局自分たちの意見を言っていることもなく、責任の所在のないような発言も多いです。
このようなコメンテーターの方々も、肝が小さい人が多い気がし、インパクトのある、心に残るコメントを残す人はほんの一握りの方だけです。

肝が小さいのはコンプレックスであり個性

人間には誰しもにコンプレックスがあります。
コンプレックスは人間にしかないようにも思え、無意識のうちに他人に勝ちたいと思う向上心の裏返しなのかもしれません。
私の場合は肝が小さいことがコンプレックスで、何をやるにも人前ではあがってしまい、子どもの頃から人の陰に隠れたがる臆病な子でした。
小学生の頃は登校した日の朝に提出しなければいけない提出物を放課後、生徒が少なくなってから先生のもとへおずおずと出しにいくような子どもで、今にして思えば先生を困らせていたなと感じています。
そんな自分の性格が嫌で悩んだ時期もありましたが、コンプレックスは誰しもが多かれ少なかれ抱える問題であり、自分にとってはとても重大な欠点のように思えることでも他人にはほとんど見えていないということに気がつきました。
また他人にとっては自分に降りかかること以外のことに関しては、本当に些末なことでしかないということも言えると思います。
肝が小さいという性格もとらえ方次第で、慎重や用意周到というような良い意味の言葉に置き換えられることもまた事実です。
コンプレックスを抱えると主観的になり客観視ができなくなってしまうので、事実に着目して「考える」というよりも、こういう側面もあると「とらえる」ことを意識するとさまざまな見方ができるようになります。