大魚は小池に棲まず

【漢字】大魚は小池に棲まず
【読み】たいぎょはしょうちにすまず
【意味】
【例文】

大魚は小池に棲まずをテーマにした記事

大魚は小池に棲まずを教訓にしたいです

「大魚は小池に棲まず」ということわざのように、人にはそれぞれ適材適所があると思いました。
優れて有能な人はやはりそれに見合う場所で活躍するのが良いと思います。

世の中には何らかのしがらみの影響で、大魚でも小池で我慢して生きている人もいるのかもしれません。
そういう人は自分の本当の実力を過小評価しすぎているとも言えるので、それは非常にもったいない話です。

自分の価値を過大評価しすぎるのも、これはこれで問題ですが、その逆になって、小さいところで甘んじてしまい、満足しないように気をつけたいものです。

どんなに優秀な人でも失敗をすることがあり、その時は大魚でも大河に出て行く勇気はないかもしれません。
そんな時は小池で十分に英気を養い、再び大河に出ていけば良いと思います。

仮に大業が小池に住むことがあったとしても、それは一時のことです。
やはりそこは本来、住むべき場所ではなく、いずれ大河に出ていかなくてはならないでしょう。

もし、今の生活がぬるま湯に浸かっているようであれば、やはり少し上を目指して大魚に近づいていきたいものです。
同じ所にとどまらず、また甘んじることなく、今自分ができることを精一杯やっていき、自分に合った世界に繰り出していきたいと思います。

「大魚は小池に棲まず」-現代人に必要な精神性ー

大魚は小池に棲まず、真に能力のある物は小さな環境で満足しない、という意である。
僕は最初この言葉を知った時、傲慢な魚もいるものだ、と感じた。
自らを大魚と称し、自らの棲む池を小さいなどと宣うなんて大それた魚だなあ、と。
しかし、今の日本社会に必要とされているのはこの精神性なのではないかと最近思い直すようになった。

日本は自殺大国である。
人間関係、仕事、金銭問題などその理由は様々であろうが、自分の生に価値を見出せずに、自らの命を絶ってしまう人が多い。
また、過労死という極めて特殊な死因が、それを示す言語が一般に認められている国でもある。
病気や事故など肉体的な理由ではなく、精神的な理由で多くの日本人は日々亡くなる。

「逃げればいいのに」「辞めればいいのに」
外から見た人がそういった思いを抱くのは当然である。僕もそう思ったことがある。
しかし、彼らは逃げない。逃げられない。
その最たる原因は偏に「自己評価の低さ」であるのではないか、と僕は思う。
「僕が逃げたら周りに迷惑がかかってしまう」「今の仕事を辞めたら次の仕事なんて簡単には見つからない」
そういった考えが彼らの脳中には渦巻いているのだろう。
その考えこそが何よりも自分を追い詰めているのだ、ということには彼らは決して気づかない。

だからこそ、今この日本社会において、「大魚は小池に棲まず」の精神性が重要なのだ。
例え本心でなくとも、自らを大魚と称し、今の環境を小池と言い切るだけの図太さが重要なのだ。
「こんなところは僕がいるべき場所じゃない、もっとふさわしい場所が必ず僕にはある」
そう自ら嘯いて、自分の生きる道を都度、修正していく生き方こそが、今この日本において最も必要とされるべき精神性なのだろう。