子は三界の首枷

【漢字】子は三界の首枷
【読み】こはさんがいのくびかせ
【意味】首かせとは罪人の首にはめて自由を束縛する刑具。親は子どもへの愛情から自由に思い切ることができず、いつまでも束縛されるという意味。
【例文1】成人しても愛しい我が子は三界の首枷である。
【例文2】いつまで経っても子は三界の首枷だ。

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子を思う親心があればこその「子は三界の首枷」

二世タレントなどが何か不祥事を起こしたり、逮捕されたりすると、その親が出てきて謝罪会見をすることがあります。子どもが成人している場合は、何も親が謝る必要はないと思いますが、そのシーンを見るたびに、私は「子は三界の首枷」ということわざを思い出します。
「三界」と言うのは、仏教の言葉で、過去と現在と未来のこと。「首枷」は、昔の刑具で、首にはめて罪人の自由を奪うもののことだそうです。子は三界の首枷ということわざは、つまり、「親は子どものために一生自由を奪われることになる」という意味でしょう。
それだけでは、何ともネガティブな意味になってしまいますが、このことわざには「親心」のニュアンスが含まれていると考えていいのではないでしょうか。
先ほどの二世タレントの例でいえば、親は「あんな子どもとは縁を切ります」と突き放すこともできますが、多くの親はそうはしません。
子どもが何をしたとしても、親子であることに変わりはないというのが、謝罪する親のスタンスです。そこにはつまり、子を思う親心があるのではないでしょうか。
親心があるからこそ、子どもに縛られ、自由を奪われることになるわけです。「首枷」というような刺激的な比喩を使ってはいるものの、このことわざの裏には親の情愛が潜んでいると思われてなりません。

子は三界の首枷とは

「子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ)」とは、親とは子供にとらわれて一生涯束縛されることのたとえです。三界とは、仏教の教えで現在で言う過去・現在・未来のことで、「三界」を「さんかい」と呼ぶのは間違いです。首枷とは、罪人の身体の自由を奪う為にはめる刑具の一種のことで、子を首枷とたとえ親が子に対する愛情は一生尽きることのないほど深いものがゆえに自由を奪われることです。
使い方として「子供が生まれてから自分の自由がなくなりすべて子供中心となった。子は三界の首枷とはこのことだね。」と言った使い方をします。
子供がいると仕事や自分の好きなことより子供が優先となります。それは当たり前のことですが、それを苦だと思い子育てが辛くなる方もいるのが現実で、子供がきっかけに親が我慢できず事件に発展することも多いです。子供がいる以上、事あるごとに子は三界の首枷になりはしますが、それも含めて我が子は可愛いものだとも思います。私にはまだ子供はいませんので子は三界の首枷と周りが言っているのを聞いてもピンときませんが、いつか我が子が出来た時、子供の事を首枷と思わずただ素直に愛情を注げるような親になりたいものだなと思います。