心を配る

【漢字】心を配る
【読み】こころをくばる
【意味】周囲や物事に細かく気を使う。
【例文1】彼女は誰にでも心を配る事ができる。
【例文2】心を配る人が好かれる。
【例文3】お年寄りに心を配る。

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自然に心を配ることができる人

心を配ることを自然にできる人は素敵だと思います。
しかし、普段からそういう習慣がないと、なかなか心を配る行動はできないかもしれません。

一家の主婦は普段から家族のために心を配って、いろいろと家事をやっています。
その為、誰かのために心を配ることが自然に身についているので、他の場面でもそれを行動に出やすいのではないかと思います。

逆にいつも誰かに助けてもらったり、やってもらっていると、それが当たり前になってきます。
そのため、そういう人はなかなか心を配ることができにくくなっているかもしれません。

偽善的に心を配っても、それは相手や周りの人にわかってしまうものです。
やはい自然にそういうことができる人は、とても凄いと思いますし、素晴らしいと思います。

人格という表現がありますが、心を配ることができる人は、人格的にも素晴らしい人なのだと思います。
私もそういう人になれるようにしていきたいと思っています。

世の中の人がみな、心を配ることが自然にできるようになれば、今よりも争い事は少なくなるのではないかと思います。
私利私欲が先行してしまい、心を配ることをしない、またはできない人たちが増えてしまうと争い事も増えてしまうのだと思います。

心を配ることが身に付いていている人

この年になっても未だに出来ていない事があります。40歳後半、女性の寿命を考えても人生の折り返し地点にいるのに、未だに人のことを思いやるということが上手く出来ません。いや周りから見れば結構人に気を使っているいい人に見えるかもしれません。そういう風に見えるように日々心がけているからです。でも本当のところはまったく違っているのです。自分でスイッチをきちんといれないと人に気を使えないし、人に心を配ることが出来ないのです。
子どもの頃から親に「思いやりの心を持ちなさい」と言われて育ってきました。その言葉はきちんと自分の心の中にあるのです。でも言葉だけであって実際に思いやりってどういう心の動きなのかが実感出来ていなかったと思います。それは大人になった今でも同じです。人に心を配るってどういった心の感じなのだろうとつかめていない部分があります。分かっていないので多分自然に心を配ることが出来ていません。なので職場や人との関わり合いの中で「よし!心を配れるように気をつけよう!」というスイッチを入れている毎日です。だからそういったことが身に付いていてごくごく自然に出来る人は本当に尊敬します。
思いやりや心配りは言葉や知識じゃなくて心の動きとして小さい頃から育んでいくものだと思います。