朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり

【漢字】朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり
【読み】あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり
【意味】朝に真実を聞いたとすれば、その日の夕方に死んでも悔いはない。つまり、大事な用事を先に済ませてしまえば、あとはいつ終わりが来ても、悔い はないという意味。
【例文1】チャレンジできる事は全部してきたので、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。
【例文2】ひ孫の顔まで見られて朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。
【例文3】家族に看取られれば朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。

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朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり、まさにこのことわざで生きている自分

私は朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりのように仕事では今日1日人に対して弱者に対してサポートして行こうと志を立てます。私の仕事は対人援助の仕事ですから、朝に志を立てて夕方にはもはや死んでもいいという程の志を持って仕事に取り組んでいます。夜の中には社会的弱者、普通の生活を営みたくても障害を持っていて射止めない方がたくさん存在します。身体障害者や精神障害、高齢者、私の仕事は精神障害者や高齢者をサポートする仕事です。例えば高齢者で認知症のために当たり前の生活をしたくても出来ない人が多く存在します。このような人は他者のサポートがないと生活していくのが難しい状態になっていますからまさに朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりであさ今日はこの認知症の方を誠意を持って全身全霊で援助をしようと志して夕方には死んでもいいくらいの気持ちで業務に取り組んでいます。対人援助というのはこれくらいの気持ちがないと出来ません。なにしろ人の心の中に入り込まなくてはならないのですから。この仕事を1人前になるまでには15年かかりました。今なお対人援助に関しては試行錯誤で仕事に取り組んでいます。夕方にはもっと違うやり方でサポートすれば良かったと反省する点もありますが、自分はこの仕事に誇りを持っています。