太刀打ちできない

【漢字】太刀打ちできない
【読み】たちうちできない
【意味】力の差が大きく競争相手にもならない。
【例文1】彼女の学力には誰も太刀打ちできない。
【例文2】まだまだ父のようには太刀打ちできない。
【例文3】年収の差が太刀打ちできない。

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太刀打ちできない良い人

自分の見の周りを見回してみて本当に太刀打ちできないなと思う人がいます。とにかく文句のつけようがないいい人がごくごくたまに存在します。相手のことを考えて行動できるし、相手の立場に立って「あの人だったらこういう風に考えるだろうな、こういったものが好きだろうな」と自然に考えられる人です。
私自身はそれがとても苦手です。とにかく自分の目線からでしか物事を考えることが出来ません。相手の立場に立って考えているように見えてもやっぱりどこかで自分の思考が入ってしまいます。自分の都合のよいように解釈して他人の気持ちを考えてしまいます。
また職場などでも「今日は周りに気配りをきちんとしよう!」と自分にスイッチを入れないと、本当にどうしようもないくらいに自分のことしか考えられない、気配りが出来ない人になってしまいます。
なのでそういった相手の立場になって考えて気配りが出来る人、しかもそれが身に付いていてごく自然な感じで出来る人をみると「まいったな~あの人にはとても太刀打ちできないな」と思ってしまいます。そういう人をいい人と呼ぶのだと思います。自分が親になって子どもを育てる立場になった時に、どうやって育てればそういういい人に育つのだろうかと思います。

太刀打ちできないほど難しい入試

大学受験の勉強をしていた頃はほぼ毎日、約8時間ほど勉強をしていました。高校3年生の4月は、まだ自分の偏差値もそれほど高くなかったため、果たして本当に第一志望の大学に受かるかどうか不安でしたが、とにかくやるしかないと思い、一生懸命勉強を続けました。

勉強をしていくうちに、今まで分からなかったところが理解できるようになったときの喜びを感じたり、どんどん次のステップに進みたいといった、勉強への意欲も湧いてきました。4月ごろの偏差値は40前半程度しかなかったのですが、10月にもなると偏差値は50前半程度にまで上がっていました。このまま勉強を続けていけば、もしかすると第一志望の大学にも受かるかもしれない、と自分でも感じましたし、塾の先生たちもあくまで「もしかしたら」といった気持ちで、私の勉強を見守ってくれていました。

しかし第一志望の大学の入試当日、問題を開いてみて一気に気持ちが急降下しました。というのも問題があまりにも難しく、太刀打ちできないレベルだと感じてしまったからです。無論、第一志望の大学は落ちてしまいました。ただ第二志望の大学が受かっていたので、そこに入学することに決めました。第一志望の大学には受かりませんでしたが、きちんと勉強して少なくとも第二志望の大学にいけたのは、自分の努力の証だなと感じており、今では受験生時代のことも良い思い出の1つになっています。