三顧の礼

【漢字】三顧の礼
【読み】さんこのれい
【意味】中国の三国時代に将軍が諸葛亮を迎えるために三度も出向いてお願いしたという故事に由来する。才能ある人物を得るには、地位の高い人が自ら出向いてお願いするのがよい。
【例文1】三顧の礼で迎えられて恐縮です。
【例文2】引き抜きに三顧の礼で出向かう。
【例文3】三顧の礼でも獲得したい人物。

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三顧の礼は三国志から

私は漫画を昔からよく読んでいる、最近は読んではいないが横山光輝先生の三国志に一時期はまっていました。最近では日経新聞電子版のCMに諸葛亮孔明が「ドーン!」とか言っているあのキャラが横山光輝先生の三国志である。
昔の漫画なので非常にシンプル、故にわかりやすいのが特徴であります。
色々なシーンがあるなか、三顧の礼のシーンが勿論あります。
劉備、関羽、張飛が軍師として諸葛亮孔明を仲間にするための工程が三顧の礼の元祖であります。
漫画では劉備、関羽、張飛の3人が度々諸葛亮孔明を訪ねるが不在で、不在の理由が少し理不尽なのでキレやすい張飛が「劉備のアニキ、孔明なんかもういいじゃねえか!」と思っているのを関羽がたしなめて、しかし関羽も不満があっても劉備が「孔明は必要なのだ」.と我慢して孔明に会うのを待つ・・という下りが面白く感じました。
諸説あるのですが、孔明は自分が劉備にとって本当に必要なのかを確かめる為にわざと不在になって、再びやってきたら「ああ、私は劉備にとって非常に必要なのだ」と納得するために不在だったと言われています。
高飛車な態度かもしれませんが、自分の判断が世界を左右してしまう不安もあった故にそういう判断をしたと思うと凄いと思います。

三顧の礼に学ぶ仁義

三顧の礼。三国志の中から生まれた言葉ですが、これは仁義の基本ともいえるべきものと考えています。
三顧の例は、蜀という国をその後に作る劉備、関羽、張飛の義兄弟が天才軍師の諸葛孔明を仲間に引き入れようと行った行動です。
今までは力押しで戦を行ってきた劉備たち。ある時、戦略というものの重要性に気づき、そのような作戦を立てられる人間の必要性を考えます。そこで白羽の矢が立ったのが孔明。3人は孔明を訪ね仲間に引き入れようとしますが、留守であったりして会うことはかないませんでした。3度目にして孔明と面会。その時劉備は40歳の王族の出。孔明は20歳の片田舎に住む若者。この身分を考えない劉備の行動が孔明の心を打ち、仲間になりました。
今の日本にここまでしてくれる人はいるのでしょうか。どうしても会いたい人(恋人とかなら違うかもしれませんが)に対してここまでの対応ができるでしょうか。自分がこの三顧の礼を行う立場だと考えたときに、自分の地位を考えずここまで熱心に行動する人間がどれだけいるのでしょう。
人を愛し、優しく接する仁の心、それに答えるための義の道。人に優しくされたのであれば、相手にも優しさをお返ししてあげましょう。それによって良好な人間関係が築かれるのだと信じています。