人間万事塞翁が馬

【漢字】人間万事塞翁が馬
【読み】にんげん(じんかん)ばんじさいおうがうま
【意味】幸せだと思っていた事が不幸に変わったり、一見、不幸だと思われる事が幸運を呼び込むきっかけになることがある。長い人生何が幸いして何が禍になるか予測が付かないものである。
【例文1】新車を購入して喜んでいたが、翌日車をぶつけてしまった。落ち込んだが、人間万事塞翁が馬で気を引き締めて運転する。
【例文2】足を骨折をして長期入院を強いられた。暇なので上半身を鍛えたらモテはじめて人間万事塞翁が馬だ。
【例文3】ケガで入院してのちにナースと付き合う事になり、人間万事塞翁が馬だ。

人間万事塞翁が馬の語源

人間万事塞翁が馬』は中国の書物『淮南子(えなんじ)』が出典になっています。

人間万事塞翁が馬』の「人間」とは日本で言う人ではなく中国で言う世の中を意味します。「塞翁」の「塞」は砦、「翁(おきな)」とはおじいさんという意味です。「が」は所有を表す格助詞になります。直訳すると砦の近くに住んでいるおじいさんの馬のお話になります。

その昔、中国の北方に砦があり、そこに占いが得意なおじいさんが住んでいました。ある日、おじいさんが飼っていた大事な馬が逃げてしまいました。近所の人たちはおじいさんを気の毒に思い慰めに行ったところ、おじいさんはうれしそうに言いました。

「このことがきっかけで幸福が舞い込んでくるかもしれない。」

数日後、行方をくらましていた馬がいい馬をたくさん引き連れて戻ってきました。近所の人たちがお祝いに行くとおじいさんが残念そうに言いました。

「このことが災いにならなければいいが」

しばらく経って、おじいさんの息子が落馬して足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがお見舞いに行くとおじいさんは平然と言いました。

「このことが吉と出るだろう」

ある日、おじいさんの国が戦争になり、敵が砦まで迫ってきました。多くの若者は戦争に駆り出され戦死しましたが、おじいさんの息子は足のケガのおかげで徴兵を免れることができました。おじいさんの息子は命拾いをしました。

ここから良くも悪くも災いや幸せは予測できないものという故事成語が生まれました。

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人間万事塞翁が馬」の由来は?

人間万事塞翁が馬と言われる故事成語は、人生には色んなことが起こるから、一々大げさに反応しても仕方がないという意味ですが、この由来をご存知でしょうか。

その昔、中国に塞という国がありました。この言葉は、塞の国に住む親子の話から来ています。親子と言っても子は既に成人しており、親ももう翁、つまり老人の年令になっています。ある時、子が大きくて立派な馬を手に入れました。子はとても喜んで近所の人々に自慢をしていましたが、ある日その馬から落ちて大きな怪我を負ってしまいました。怒った子は馬に対して怒り、またとても悲しみました。こんな馬なんか手に入れなければ良かったと思いました。ところがその数日後、塞は隣国との戦争状態に突入しました。若い男たちは兵に徴収されていきますが、怪我をしている男は徴収されずに済みました。戦争に行かなくて済んだ男は、怪我をしていて良かったと喜びました。そしてこれらの間、親である翁はこの様子を穏やかに笑いながら見つめていました。
この話からは、とにかく子どもの方がコロコロと感情を変えているのが分かります。実際、色んなことに対して鋭く反応していると感情も揺れ動きますが、それに合わせてとても疲れてしまいますね。塞翁が馬とは、こんな風に色んなことが起こっても静かに穏やかに過ごすことが人生を幸せに生きる秘訣だという故事成語なのです。

 

人間万事塞翁が馬でどんな時も、必ず道はある

一つの業界で仕事をこなしてきた中で、事件に巻き込まれて危機的な状況に陥ったり、体力的に負担が大きくなったりして、その仕事を辞めようと思ったことは何度もありましたが、それでも時間と共にそれらは解決していき、結果、20年間同じ業界で務めることができました。
そして、いつしか自分自身に対して確固たる自信が生まれ、「俺はもうめったな事では揺るがない」、そう思えた矢先に、ささいな人間関係の問題で、長年過ごしてきたその業界を去ることになりました。ただでさえ景気の悪い時代に、収入も減り、未来の見えない不安に苛まれる日々。
しかしそうした現実が、今までの生活の中で怠けていた様々な部分を見直すきっかけになってくれました。例えば、毎日の食事を外食やコンビニ弁当で済ますことになんの疑問も持たなかった生活が、少し自炊をすることではるかに健康的な食生活になり、しかも食費もこれまでの半分以下に抑えることが出来るようになったこともその一つ。ろくに使っていなかった車を処分し原付に変えることで、年間の維持費も20万円以上下げることも可能になりました。
それもこれも、人間関係の躓きがなければ考えようとすらしなかったことです。20年勤めたその業界は、実のところ斜陽産業であり、これまでの20年と同様に安定した生活が、今後20年も送れるとは限らない雰囲気が漂っています。そんな中で、これまでどれだけ自分が無駄な生活を送ってきたかを気付かず、例えば10年後に仕事が無くなってから無駄遣いをしてきたことに愕然とするよりも、今は辛くとも、ここで気が付いてよかったのではないかと思えるのです。そして何より、それまで神経を削るだけの仕事から、自分が本当にやりたいことを突き詰められる仕事に出会えた事は、正に「人間万事塞翁が馬」なのではないでしょうか。

売れ残りが拾われた話

フリーのイラストレーターの友人の話です。フリーと言えば聞こえがいいけど、つねに注文があるわけでも売れる店舗があるわけでもなく、ごくたまに催事で出す程度です。これの売れ残った作品を指定のギャラリーに置いていたそうです。
そのギャラリーが急に移転することになった、作品を取りに来て下さいと言われたのですが、バイトが重なって日程が合いません。残り3つだし、では送ってくれますかと言えば、忙しくて無理との答え。そこを食い下がると、送料負担でよければ折り返し連絡しますと。そしてそれっきりでした。
一応は、と友人は悔しげに言うのです。時間をかけて苦労して描いたものであると。それを取りに行けないし送っても貰えないとしたら、引っ越しゴミにでもされるのだろうね。
それも仕方がない、と、もう相手方に連絡もせず放置して5日余り、思わぬところから電話が来たといいます。そのギャラリーに自分の作品を取りに来たら見かけて気に入ったので全部買いたい、ただ、まとめて買うから値引きして貰えないかという話。
本人はびっくりして、引き取って頂けるだけでも有り難いです、ただで宜しいですと言ってしまいました。でもその方はちゃんと値段を提示して、その通りに振り込んで下さったそうです。
まさに大逆転です。しかし自分の力ではどうにもならないところを、良い人に見つけて貰ったおかげに違いありません。その3つはずっと残っていたのにその人が来たときなぜ目についたのかと言えば、ギャラリーは移転のためにその作品を壁から外し、ちょっと目立つ通路側に移動して置いたそうです。


モラハラで離婚、でも良い人に出会った!

私の男友達に、親が再婚している人がいます。本人にきちんと許可を得たので、彼のご家族のエピソードをご紹介します。
彼のお母さんは、若い時に信頼して結婚した相手が入籍をした直後に豹変して、ひどい言葉をたくさんかけられてきたそうです。結婚前は、少しヤンチャではありましたが本当に親切な人だったのに、演技をしていたみたいなのです。
さらにはふだんから奴隷扱いをされて、子育て中でしたが別れようと決意し、裁判で相手と闘った末に離婚しました。プライドがあったので、夫からはお金は一円ももらわなかったそうです。
しばらくシングルマザーで、大変な思いをしてきたようですが、離婚して十年くらい経ってから心の優しい外国人男性に出会い、相手は初婚でしたが息子のこともすんなり受け入れてくれたそうで、今では家族3人で仲良く暮らしています。
彼は再婚相手のご両親の家にも遊びに行き、向こうのおじいさんおばあさんも孫のためにと色々な遊びを用意してくれたいたそうです。新しいお父さんは海外出張が多く、あまり家にはいないそうですが、何か家族が病気になると心配して帰って来てくれたりするそうです。
彼や彼のご両親を見ていると、万事塞翁が馬とはこのことだなあと思います。

油断してしまうと必ず悪いことがおこります

人間万事塞翁が馬という言葉の意味をご存知でしょうか。
人間にとって人生の中で幸、不幸は予測し難く、いつ幸せが不幸に、不幸が幸せに転ずるか、わかりません。
そのため、少しの幸、不幸に対して一喜一憂するべきではないということのたとえです。
この人間馬事塞翁が馬という言葉が一番似合うのは、今まさに甲子園球場で開催されている夏の全国高校野球選手権での試合です。

甲子園は1回負けるとそれで終わりです。
甲子園に出場するチームは全て地方の予選を勝ち進んできており、チームの総合力においては甲乙つけ難い状況であると思います。
ただ下馬評というものがあり、過去の甲子園の実績は率いる監督の采配など、外的な要素はあるものの、それらの外的要素に対して過敏になる必要はありません。
またこれらの下馬評がよいとされてきたチームが9回ツーアウト、ランナーなしから、あれよあれよという間に負けてしまうということもあります。

従いまして、舐めてかかると痛い目にあいますし、途中勝っているからといって、9回の3アウトを取るまでは野球の試合は成立しません。
このように、途中経過が良くても、野球は最後に1点多くとっている方が勝ちですので、きちんと意識をもって、集中力を切らさずに試合に臨むのが必要であると思います。
人間万事塞翁が馬、この言葉はとても身にしみる言葉であると思います。

人生、どう転ぶのか分からない

人間万事塞翁が馬というのは中国の昔の話からきたようですが、簡単に言うと幸せが不幸になったり逆に不幸だと思っていたのが幸せに転じたりするということです。
でも、本当にそういうことは人生に多いです。
例えば、大学進学するときに第一希望は法学部だったけど、受かったのは第二希望の経営学部で最初は落ち込んでいたものの、実際に入ってみると法学部よりも経営学部の勉強は楽しく自分に向いていたということの気づき第一希望に受からなくてよかったということもあります。
ある人は、親の経営した会社がバブルがはじけたことにより経営が傾きだして、実家を継ぐ気はなかったのですが実家に帰ることになりました。
すると、その会社の顧客というのが富裕層の人たちで、その富裕層の人たちから色々な話を聞いてお金に対する考え方や生き方のノウハウをたくさん吸収していきました。
そうすると、実家の会社の経営も上手くいきだし、他にも事業を展開していき好きなことをして生活できるようになりました。
逆に、幸せになったかと思ったら不幸の始まりだったみたいなこともありますよね。
条件が良くて、これから生活に困らないだろうと思って結婚した相手が、実は見栄を張り他人にはお金はたくさん使うけど実生活はケチで生活がカツカツで生活に困らないどころか自由なお金もなく苦しくなったという場合もあるそうです。

どんなことにも一喜一憂するべきではない

人はそれぞれに座右の銘を持っていることがあります。
天才子役として一世を風靡した芦田愛菜さんの座右の銘は「人間万事塞翁が馬」だそうです。
この座右の銘をテレビの番組で紹介するときに、彼女は「じんかんばんじさいおうがうま」と読んだのです。
一般的に知られているのは「にんげんばんじさいおうがうま」という読み方です。
どうして芦田愛菜さんがそう読んだかというと、ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんの座右の銘であると本に書かれていて、そこに「じんかんばんじさいおうがうま」と書かれていたのだそうです。
意味は、良いことも悪いことの始まりだったり、悪いことも良いことのきっかけだったりするのだから、どんなことにも一喜一憂するべきではないというものです。
山中伸弥さんも、初めは整形外科医になろうとしましたが、不器用だったことから基礎研究者に転向をしますが、それもうまくいきません。やはり臨床医に戻ろうとしたことがあったということで、紆余曲折の末の今があるとされています。
こうしてノーベル賞を受賞するような偉大な結果があり、たくさんの人にその福音がもたらされることになりました。
誰しも目先のことに目を輝かせたり、落胆したりしてしまいがちですが、もっとおおらかに生きることが望まれます。