手が付けられない

【漢字】手が付けられない
【読み】てがつけられない
【意味】取るべき方法・手段がない。どうしようもない。
【例文1】赤ちゃんはいったん泣き出すと手が付けられない。
【例文2】肥満を放っておいたら、手が付けられないほど腎臓がやられていた。
【参考】「手を付ける(=始める)」の否定形「手を付けない(=始めない)」とは意味が異なることに注意。

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手が付けられないほどの虫歯を作ってしまいました

就職をしてからしばらくの間、研修やらなんやらで何かと忙しく、歯をちゃんと磨かなかった時期があります。
それである時、急に複数の歯が痛み始め、どうにも我慢できない状態となってしまったのです。
仕方がないので、歯医者に行く事にしました。
歯医者さんに口の中を診てもらうと、手が付けられないほどたくさんの虫歯がある事を指摘されたのです。
これを完全に治療するには、長期間かかると言われてしまい、愕然としてしまいました。
しかし一本たりとも虫歯をほっておくわけにはいかないので、気長に治療して貰う事にしました。
治療中嫌だったのは、麻酔を打たれる事です。
治療の痛みを和らげるためとはいえ、この麻酔の注射がやたらと痛かったのです。
毎回毎回治療の度に、この痛い麻酔注射をされてしまい、いい加減歯医者に通うのが嫌になってしまう程でした。
しかし途中で投げ出してしまっては虫歯がそのままになってしまいますから、歯をくいしばって耐える事にしたのです。
一部の歯は治療困難で、抜歯する事になってしまったのですが、抜歯からしばらくの間痛みがあり、これも苦痛の種となっていました。
そんなこんなで色々とありましたが、何とか虫歯を全て治療し終えたのです。
何とか虫歯は治りましたが、抜いてしまった歯もあり、手が付けられないほどの虫歯を作ってしまった事をひどく後悔しました。

人間万事塞翁が馬

【漢字】人間万事塞翁が馬
【読み】にんげんばんじさいおうがうま or じんかんばんじさいおうがうま(どちらも可)
【意味】幸せだと思っていたことが不幸に変わったり、一見、不幸だと思われることが幸運を呼び込むきっかけになることがあるということ。長い人生何が幸いして何が禍になるか予測が付かないものである。
【例文1】新車を購入して喜んでいたが、翌日車をぶつけてしまった。落ち込んだが、人間万事塞翁が馬で気を引き締めて運転する。
【例文2】足を骨折をして長期入院を強いられた。暇なので上半身を鍛えたらモテはじめて人間万事塞翁が馬だ。

人間万事塞翁が馬の語源

人間万事塞翁が馬』は中国の書物淮南子(えなんじ)』が出典になっています。

人間万事塞翁が馬』の「人間」とは日本で言う人ではなく中国で言う世の中を意味します。「塞翁」の「塞」は砦、「翁(おきな)」とはおじいさんという意味です。「が」は所有を表す格助詞になります。直訳すると砦の近くに住んでいるおじいさんの馬のお話になります。

その昔、中国の北方に砦があり、そこに占いが得意なおじいさんが住んでいました。ある日、おじいさんが飼っていた大事な馬が逃げてしまいました。近所の人たちはおじいさんを気の毒に思い慰めに行ったところ、おじいさんはうれしそうに言いました。

「このことがきっかけで幸福が舞い込んでくるかもしれない。」

数日後、行方をくらましていた馬がいい馬をたくさん引き連れて戻ってきました。近所の人たちがお祝いに行くとおじいさんが残念そうに言いました。

「このことが災いにならなければいいが」

しばらく経って、おじいさんの息子が落馬して足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがお見舞いに行くとおじいさんは平然と言いました。

「このことが吉と出るだろう」

ある日、おじいさんの国が戦争になり、敵が砦まで迫ってきました。多くの若者は戦争に駆り出され戦死しましたが、おじいさんの息子は足のケガのおかげで徴兵を免れることができました。おじいさんの息子は命拾いをしました。

ここから良くも悪くも災いや幸せは予測できないものという故事成語が生まれました。

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人間万事塞翁が馬」の由来は?

人間万事塞翁が馬と言われる故事成語は、人生には色んなことが起こるから、一々大げさに反応しても仕方がないという意味ですが、この由来をご存知でしょうか。

その昔、中国に塞という国がありました。この言葉は、塞の国に住む親子の話から来ています。親子と言っても子は既に成人しており、親ももう翁、つまり老人の年令になっています。ある時、子が大きくて立派な馬を手に入れました。子はとても喜んで近所の人々に自慢をしていましたが、ある日その馬から落ちて大きな怪我を負ってしまいました。怒った子は馬に対して怒り、またとても悲しみました。こんな馬なんか手に入れなければ良かったと思いました。ところがその数日後、塞は隣国との戦争状態に突入しました。若い男たちは兵に徴収されていきますが、怪我をしている男は徴収されずに済みました。戦争に行かなくて済んだ男は、怪我をしていて良かったと喜びました。そしてこれらの間、親である翁はこの様子を穏やかに笑いながら見つめていました。
この話からは、とにかく子どもの方がコロコロと感情を変えているのが分かります。実際、色んなことに対して鋭く反応していると感情も揺れ動きますが、それに合わせてとても疲れてしまいますね。塞翁が馬とは、こんな風に色んなことが起こっても静かに穏やかに過ごすことが人生を幸せに生きる秘訣だという故事成語なのです。

人間万事塞翁が馬の具体例

 

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酸いも甘いも噛み分ける

【漢字】酸いも甘いも噛み分ける
【読み】すいもあまいもかみわける
【意味】人生経験を積むことで、世の中の表と裏を知り尽くしていること。そこから人情に通じ、どのような状況でも上手に対応ができること。
【例文1】彼は自己中心的で酸いも甘いもかみ分けきれない。
【例文2】人生経験が豊富な彼女はどんな人にも酸いも甘いも噛み分ける。

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酸いも甘いも噛み分けた魅力

ある仕事で知り合った派遣社員のAさん。年齢は40代ですが一回りは若く見えます。飛び抜けてスタイルが良い訳ではないが程よく筋肉がついており顔が小さくバランスが良い為、スラリとして見えテキパキ仕事をして頭の回転が速くいかにも仕事できますという雰囲気です。話すと面白い人ですが、どこか淡々としており休憩も1人で外で食事が多く必要以上に周囲と関わろうとしない為、私生活が見えずミステリアスでした。ある時、上司の進捗ミスで本来納期に3週間かかる仕事を1週間で完了させないといけなくなり困り果てた所、Aさんは残業と休日出勤で完璧に完了させ周りはただ敬服するしかなかった事がありました。上司にきちんと説教までして進捗表のテンプレートまで作成し、若い社員に指導。みんな驚く程の業務能力でした。
余り自分の事を話さない人なのでよく知らなかったのですが、以前は大手企業の本社で正社員で働いておりいくつも資格も持っているとか。家庭の事情で辞めざるを得ない状況になり現在は派遣社員をしているそうです。
若くして身内に不幸が続きかなり苦労があった様子。
「隠す訳じゃないけど人は都合のよく弱み見つけて好き勝手言うからプライベートを話すのが面倒なだけ」と言ってました。
酸いも甘いも噛み分けるとどんな状況になっても余り驚かないと言ってました。あの淡々とした態度は性格だけではなく環境もあるんだろうなと思いました。

水魚の交わり

【漢字】水魚の交わり
【読み】すいぎょのまじわり
【意味】水と魚が切っても切れないことから離れられない親密な関係をいう。
【例文1】小学校から水魚の交わりだった30年来の旧友と旅に出る。
【例文2】20年の付き合いで水魚の交わりだから言葉にしなくても友人の考えて
   いることがわかる。

水魚の交わりの語源

水魚の交わり(すいぎょのまじわり)とは、水と魚の関係のように離れることができない親密な交際や必要不可欠な間柄。また、主従関係や夫婦、友人と仲睦まじいことの例え。魚は水があってはじめて生きられることからから転じて用いられています。
 
もともと水魚の交わりは中国の『蜀書 諸葛亮伝』を原典とする故事成語です。『三国志演義』の中に出て来る逸話としても親しまれています。

劉備三顧の礼を持って諸葛亮諸葛孔明)家臣に迎えてから、劉備諸葛亮が親交を深めていきました。そのことを古参の家臣である関羽張飛は快く思いませんでした。

劉備関羽張飛に『水魚の交わり』という言葉を出して語りました。
「私が諸葛孔明を得たのは魚が水を得たようなもの。諸葛孔明の軍師としての器量を愛することは、夫が妻を愛おしく思うようなものだ。桃園の誓い交わした私たち義兄弟の契には何も影響しない。」

古代中国では魚は恋人、配偶者の暗喩です。すなわち劉備諸葛孔明は夫婦のような関係で常に一緒にいるのは当たり前。劉備関羽張飛との義兄弟の関係とは別である。そう言った劉備関羽張飛は納得しておとなしく引き下がったとされています。

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水魚の交わり」って何?

水魚の交わり」という言葉は三国志諸葛亮伝に出てくる言葉で、水と魚の関係のようにきわめて親密なつきあいのことを言います。「水魚の親」「水魚の因(ちなみ)」も同じ意味の言葉です。魚は水がなければ当然生きてはいかれません。きわめて親密なつきあいなら傍から見て何も問題ないように思えます。でも、ちょっと待ってください。こういう言葉もあります。「水、清ければ魚住まず」あまりに清廉潔白な人だと近寄りがたく、友人が少ないという意味ですが、水が綺麗すぎると魚の餌になるプランクトンが住むことができないので魚も当然住めません。「水魚の交わり」が市販のミネラルウォーターのように二人の関係性に透明感のあるものならいいのですが、泥水を二人ですするような関係性だったとしたら最悪です。政治の世界でも個人の交友関係が、問題にされる場合があります。二人の関係がずぶずぶの依存関係だった場合、収賄汚職が懸念されでも仕方がありません。「朱に染まれば赤くなる」という言葉もありますし、「類は友を呼ぶ」などという言葉もあります。政治家として国家の運営に携わる者でしたら、襟を正してご自分の交友関係もよく見直してみるべきですね。自分を正しく良い方向へと導いてくれる友人と「水魚の交わり」ができればこれ以上の幸せはないでしょう。

頭を捻る

【漢字】頭を捻る
【読み】あたまをひねる
【意味】あれこれと思いめぐらす。
【例文】どうすれば親にスマホを買ってもらえるか頭を捻る。

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引導を渡す

【漢字】引導を渡す
【読み】いんどうをわたす
【意味】諦めるように最終宣告をする。
【例文】君には彼女は釣り合わないと引導を渡した。

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お局様に引導を渡す

それはそれはもう鬱陶しいお局さんがいました。
彼女はとても長く勤めていて、社のことはなにもかも知り尽くしている、まさにお局様でした。
「ここの女子はみんなサバサバしてっからね!」と言うのが彼女の口癖でしたが、自席に着席していることがほとんどなく、いつもどこかで誰かと立ち話をしているお局様。
彼女を中心に「サバサバしてる女子たち」は実は噂話のオンパレードでした。
席替えがあれば「あの席の配置だと誰それさんはたぶん近いうちに異動待ったなしだね」
「誰それさんがやめるらしいよ」
「誰それさんと誰それさんは付き合ってるっぽいんだけど」
お気に入りの子は〇〇ちゃんと下の名前にちゃん付けで呼び、お気に入らない人は〇〇さんと苗字呼び。
お気に入らない人が着席していない時は、その人には差し入れやお土産をあげない。
そして「サバサバした女子たち」はもちろんそれに従います。
どこがサバサバしてんだよと思っていましたが、そんなお局様の一強時代に終焉が見え始めました。
お局様に引導を渡すことになる人が現れます。
それはなんと派遣社員。もちろん新人です。
仕事ができ、綺麗で謙虚な彼女に派閥ごともぎ取られ、お局様は退職してしまいましたとさ。

慇懃無礼

【漢字】慇懃無礼
【読み】いんぎんぶれい
【意味】言葉や態度があまりにも丁寧だと形式的な受け答えでかえって無礼であること。
【例文】クレームの電話を入れたが、慇懃無礼な話し方だった。

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航空会社の対応にいつも感じていた「慇懃無礼

私は旅行会社の添乗員として長く勤めていたので、観光関係の人と接する機会が多くありました。主に海外の添乗をしていたので、航空会社、ホテル、現地の旅行会社、レストラン、お土産屋さんなどとの接点が多かったのですが、何かトラブルがあった時に本当の顔が出てくるもので、海外にホテルなどは、言葉の問題もあるのかも知れませんが、謝罪する時はきちんとホスピタリティを感じる事が多かったものです。おそらく、海外のホテルなどは滅多な事では謝ったりしないので、謝る場面があれば、それはかなり重大なミスであり、心がこもっていたので、素直に受け止められたのだと思います。問題は日系の航空会社、もしくは日系の航空会社がハンドリングしている航空会社の対応で、チェックインに時間がかかったりミスがあったり荷物に破損があった場合でも、明らかに表面上で対応していて、それでいて作り笑顔をバカ丁寧な言葉遣い、いつも頭の中に「慇懃無礼」という熟語が浮かんでいました。いくら丁寧に対応している「風」でも心がこもっているかどうかは、馬鹿じゃないのでわかるものです。私自身もお客さんと対応する時に、丁寧な言葉遣いは必須ですが、慇懃無礼な態度だけはしないようにと心がけていました。

因果を含める

【漢字】因果を含める
【読み】いんがをふくめる
【意味】やむを得ない状況を説明して納得させる。
【例文】因果を含めて娘にその男との結婚を諦めさせた。

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因果応報

【漢字】因果応報
【読み】いんがおうほう
【意味】良い行いをすれば良いことがあり、悪いことをすれば悪い報いがかえってくるもの。会話では悪い意味に多く使う。
【例文】彼の不運さは今までの言動からしてみると因果応報としか言いようがない。

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因果応報

学生時代のいじめの結果 "高校生の時、同じ学年でいじめられている子がいました。私はA組で、向こうはF組。ちょうど端っこ同士ですしわりと大きな学校だったので普段見かけることはありませんでしたが、噂はよく聞いていました。三年になってからいじめがスタートしたそうです。同じ部活にF組の子がいたのですが、どうもいじめっ子は地元でも大きな会社の社長令嬢だったそうで。地元は工場が多く、そこに関わっている会社なので誰も手が出せない状況にあったみたいです。
その後、いじめっ子グループは地元の大学に進学。いじめられっ子は就職のため上京しました。しかし、この関係性が大きく変わることになります。親の会社の倒産ですね。そして、裏で色々やっていたこともバレてしまったわけです。地元では有名な会社だったからこそ、そこにはいられないようになってしまいました。今までずっと一緒にいたいじめられっ子のグループもみんなすぐにいなくなったそうです。
私が彼女を見かけたのは、地元のスーパーでのこと。駐車場に猫がいたので追いかけてみると、バックヤードの入口付近で先輩らしき人から理不尽に怒られている彼女を見かけました。正直可哀相だと思う気持ちはありません。それを見て因果応報というのは本当にあるんだなぁと笑ってしまいました。

異を唱える

【漢字】異を唱える
【読み】いをとなえる
【意味】反対意見を言う。
【例文】彼だけ異を唱えたが、却下された。

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唯一企画に異を唱える上司

以前働いていた会社では、みんなから嫌われている上司がいました。企画関係の仕事なのですが、提案された企画に対して必ず異を唱えるからです。それも、他のみんなが良いと言っているのにただ一人だけ。この方は当時40代の女性だったので、早発閉経による更年期だのヒステリーだの影では色々と言われていました。男女からすごく嫌われていたのです。確かに、自分の企画や提案に対して異を唱える人がいたら、やっぱり良いようには思いません。ちょっと抵抗を感じるかもしれません。しかし、仕事の面で見てこれは間違ったことではありません。
というのも、この上司はただ難癖をつけているわけではなかったからです。その企画の脆いところ、もっと改善出来るところなどをついていきます。その企画に対して褒めるだけならば仕事を知らない新入社員だって出来るでしょう。しかし、問題点をしっかり見つけるというのは、仕事が出来るからです。やはり言い方とかもありますので周りからは受け入れられませんでしたが、実際にはとても仕事の出来る人だったわけです。
今はお互いフリーランスになっていますが、彼女から学ぶことは今もたくさんあります。若い内、こういう方に出会えたのはラッキーなことでした。

意を決する

【漢字】意を決する
【読み】いをけっする
【意味】思い切って決心する。
【例文】今夜、彼女にプロポーズすると意を決した。

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ソーシャルゲームをやめるために意を決する

最近の私はソーシャルゲーム疲れというものを起こしているようだった。素材集めやデイリーミッション、イベントなどで時間を無駄にしていないか。あるゲームのイベントではあまりの難易度に体調を崩しかけ、もはやソーシャルゲームが有害なものとなってしまった。そこで私は意を決する。

もう、ソーシャルゲームをやめよう。ゲームをプレイする時間が、拘束や苦痛と感じた時点でそれはもはや娯楽や息抜きのためのゲームではない。収入のない労働と一緒だ。幸か不幸か、私はゲームに膨大な時間はかけたが、お金は一切かけていない。お金は無駄にならなかったが時間は無駄になった。キャラクターは大好きだが、運営側のもくろみやイベント内容でソーシャルゲームが嫌になってしまった。

私はまずソーシャルゲームをつけないようにするために、ゲームはアンインストールした。ゲームのメンテナンスのお知らせなどを見るためにフォローしていた、ゲームの公式アカウントを自分のツイッターから外した。

今までゲームをしていた時間を青空文庫を使って読書する時間に当てたり、脳死周回ばかりしていたせいで頭の動きが止まっているような気がするので、少しでも文章を書くようにすることにした。またなぞり書きで文字を練習する本(いわゆる美文字トレーニングと言われるような本)も買ったのでそれらも活用していきたい。

もう自分の体調を崩したり、遅くまでプレイして家族に迷惑をかけるようなことはしたくない。そう意を決すると、ソーシャルゲームをやめることは実に簡単なことであった。

修羅場

【漢字】修羅場
【読み】しゅらば
【意味】激しい争いの場面。
【例文】夫婦喧嘩の修羅場に遭遇した。

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色々と修羅場はあるものです

修羅場という言葉の意味はどのようなものでしょうか。
意味は、血みどろの激しい戦いや争いが行われる場所のことを言います。
「修羅場をくぐり抜ける」という言葉もよく聞かれると思います。
私は大学生の時に、少し修羅場をくぐり抜けたことがあります。
当時、付き合っていた女性がいましたが、たまたま部活の女性の後輩が遊びに来る約束をしました。
その付き合っていた彼女には、自分は体調が悪いので、遊びに来ないように行っていたのですが、自分の体調の悪さの心配してか、部活の後輩は遊びに来ているときに、その彼女が玄関まで来てしまいました。
特に、私は部活の後輩と浮気をしていてわけではありませんし、そういう関係もありません。
一緒に食事を作って、その後映画をみていたのですが、ここで玄関のドアを開けると、変に誤解をされて、どうにもならないと思った私は、居留守を使いました。
何度も、何度も、呼び鈴が押されましたが、10分くらいして諦めて帰ったようです。
この10分間はとても恐怖に感じたことを今でも思い出します。
このことがきっかけに彼女と私の仲が悪くなり、結果、別れることになりました。
結局、彼女は私のことを信用してくれていなかったということですが、この10分間の恐怖は修羅場のような感じをうけました。

言わぬが花

【漢字】言わぬが花
【読み】いわぬがはな
【意味】言わないほうがいいときもあるということ。
【例文】その話の先は言わぬが花だ。

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言わぬが花を高確率で実感する人生

私は昔から余計な事を一言言って空気が大変な事になったり喧嘩になったり、というのを高確率でやらかしがちでした。

まあなんていうか、とても面白い事を言おう言おうと普段から考えている物だからそれでヒットする事も珍しくないです。
狙い通りの笑いが取れた時などにその気分は最高潮になりますが、そこまで行かなくともその場の雰囲気の盛り上がりの一助になれればまあ成功したという達成感はあります。
で、それが最悪のファンブルと言う形で失敗したのが冒頭に挙げたような例です。

普通の会話を歩いたり小走りとしたら、面白い事や変わったジョークというのは捻りを加えたアクロバットとかそういうものです。
それだけに失敗した時のケガも致命的なものになりやすくなる道理です。
そんなわけで、学生を卒業したあたりにはいい加減こういった性質を収めるべく「言わぬが花」を座右の銘に据えることにしたんです。

その甲斐あってか失言を原因とした大事件と言うのはその発生頻度が相当に抑えられました。
が、ゼロにはなりません。
この場で絶対に言ってはいけないと分かっている事ほど言うのを我慢するのが難しいんですよね。

まあそんなわけで、これからもより一層壁の色紙に自筆で書いた「言わぬが花」を肝に銘じていこうと思います。

弱冠

【漢字】弱冠
【読み】じゃっかん
【意味】20歳の男性を指す。近年は20歳前後の男性にも言うようになった。若干と多く間違われる。
【例文】彼は弱冠20歳の若さで結婚した。

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弱冠は20歳限定とは言えない

弱冠20歳でという言葉は聞いたことがありますが、必ずしも20歳が限定ではないようです。
言葉は時代とともに言葉は変化していくので、以前は20歳限定で弱冠と言っていたのかもしれません。

おおむね20代までのことを弱冠といっても良いのではないかという気がします。
とは言え、職種や業界などにより、若年層が変わってくるので、中には20代で既にベテランという場合もあるかもしれません。

将棋や囲碁の世界では、中学生の頃からすでにタイトルを取り、プロになる人もいます。
まさに弱冠と言える年齢です。

一般の社会人とは違い、特殊な世界では、実力のあるものが上に登っていきます。
そのため、社会的な経験や常識が優れているというようなことで測れない部分があります。

とは言え、やはりその世界での早咲きで、弱冠と呼ばれる人たちには、やはり類まれな才能があるのだと思います。
もちろん努力もたくさんしてきているとは思いますが、やはり才能がなければ、早いうちから目を出すことは難しいかもしれません。

周りの環境にも恵まれていたかもしれません。
その道でそれがネイティブのように育ってきたならば、やはり早くから開花していくのでしょう。

今後もいろいろな世界で弱冠デビューする人が出てくることを期待したいです。

鰯の頭も信心から

【漢字】鰯の頭も信心から
【読み】いわしのあたまもしんじんから
【意味】イワシの頭のお供え物でも信ずる気持ちがあれば尊いものである。
【例文】初めて彼女が作った手料理は決して美味しいとは言える物ではなかったが、鰯の頭も信心から愛情がこもっている。

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鰯の頭も信心から

鰯の頭も信心からとういう言葉があるそうです。
私は知らなかったのですが、意味はイワシの頭のようなつまらないものでも信仰をすれば尊いものになるということで、信仰心の不思議さをたとえているらしいです。
世の中には色々な人がいるので、いろいろな宗教や信仰があり、また神なんていないと思う人もいます。
今の日本では信仰心というのは比較的少ないように感じますが、どんな人でもここぞというときは神さまや仏さまというものに救いを求めることはありますよね。
とくに受験だったり、日ごろは神社に行かない人でも合格祈願のお守りをいただいたり、安産祈願など命に係わる時もお祈りしたりしますよね。
やっぱり、人って強い時もあるけど弱い部分はありますよね。
なので、最後は神という存在を求めるんですよね。
それがいけないというわけではないし、むしろ私は人智を超えた存在に敬意や畏れは大事なように思います。
そうすることで、傲慢さを持たずに人間なんてしょせん動物の一種で自然にはかなわないということを感じられると思うのです。
昔から、日本では八百万の神と言って、身近なものから山や海などたくさんのものに命が宿っているという考えはとても素敵ですよね。