手が付けられない

【漢字】手が付けられない
【読み】てがつけられない
【意味】取るべき方法・手段がない。どうしようもない。
【例文1】赤ちゃんはいったん泣き出すと手が付けられない。
【例文2】肥満を放っておいたら、手が付けられないほど腎臓がやられていた。
【例文3】手が付けられない不良グループ。

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手が付けられないほどの部屋の汚さ

手がつけられないという意味は、処置の施しようのがないことを言います。
よく使われる表現としては、「手がつけられないほどの悪ガキ」とか、「手がつけられないほどの部屋の汚さ」とか、お手上げという気持ちを込めれられた場合に使われる傾向があります。
特に、手がつけられないほどの部屋の汚さ、といえば、最近、テレビの報道やドキュメンタリーでゴミ屋敷や、部屋に座れる場所がないくらいに散らかっている部屋に関する話題があります。
特に、ゴミ屋敷に関しては特別番組として組まれていることがありますが、まさに手がつけられないと言わんばかりのものだと思います。
部屋、家の周りにもゴミが散乱し、どこから片付けていけばよいのかわからない状況と思います。
私もなぜこんなにもゴミを放っておいたのか、わかりません。
日頃からゴミをためないというのは当たり前のことだと思いますが、本人はゴミだという認識はないこともあり、ゴミが溜まる一方です。
ゴミ屋敷ができると、悪臭などの衛生面に加え、その町内のイメージが崩れてしまいます。
自治体もこのようなゴミ屋敷の扱いには苦慮しています。
ただ最近の自治体の動きとしては、強制的に撤去など、行政による執行ができるよう、条例の改正を行い、対応しているようです。

自分の思想を墨守する大切さ

「墨守」という言葉は、中国の思想家だった墨子が宋の城を楚の攻撃から9回も守ったという故事から由来しています。
一般的には自分の習慣や主張などを固く守って変えないこと、という意味で用いられます。

正直私はこの言葉を今まで知りませんでしたが、なんだか自分の思想を考え直すきっかけになりました。

私自身、平和主義で事を穏便に済ませたいタイプなので、自分の主張があったとしても、それが事を荒立てると思ったら飲み込んでしまいます。

これで物事がスムーズに進むなら、と思っていたんですが、最近上司から、仕事をプロとして受けているなら、自分はこう思うからこうした、という考えを持つべきだ、と指摘されたのです。

その意識を持ってから、今までは常に周りの判断が正しいと信じて疑わなかったんですが、そこに疑問を持つようにもなりました。
普通に考えたら、こうする方が正しいのではないか、と思ってそれを発言すると、実際周りでも同じ考えを持っていた人がいたことに気付いたのです。

若いうちは周囲に合わせることで精一杯でしたが、徐々に人間が構築されてくると、自分の主張も出てくるものだなと感じました。
仕事をする上で、ある程度自分の思想を墨守することは大切なことですね。

古くからのしきたりも大事にする墨守

墨守という言葉はなかなか聞きなれないものかもしれません。
この言葉は、古くからしきたりや自説を押し通し、守ることをいいます。
よく、旧習を墨守する、という言葉として用いられます。
昔からある伝統を重んじることや、定説をしっかりと守る風潮ですが、現代においては、それが正しいかどうかの判断ができない場合もあります。
例えば、古くからある商習慣については、なかなか変えることはできませんが、これまでの商習慣が変わりつつあるのはEC取引です。
大手のECサイトでは、本や日用品、電化製品をはじめ、最近では野菜も販売するようになりましま。
この状況は、スーパーや商店を脅かす存在になってきています。
現にECサイト取引量が増加していることにより、スーパーや商店、百貨店の売り上げが落ちている傾向があります。
これらの店舗においては、常に割引やポイントサービスの充実など、工夫をしていますが、顧客離れは続く一途です。
その象徴としては、店舗閉店や倒産といったニュースです。
特に地方の消費は下がり続けています。
このような状況に対しては、政府も消費拡大を狙い、補助金の助成をやっていますが、ばら撒きという、旧習を墨守してばかりでは、何も解決ができませんね。

人間万事塞翁が馬

【漢字】人間万事塞翁が馬
【読み】にんげん(じんかん)ばんじさいおうがうま
【意味】幸せだと思っていた事が不幸に変わったり、一見、不幸だと思われる事が幸運を呼び込むきっかけになることがある。長い人生何が幸いして何が禍になるか予測が付かないものである。
【例文1】新車を購入して喜んでいたが、翌日車をぶつけてしまった。落ち込んだが、人間万事塞翁が馬で気を引き締めて運転する。
【例文2】足を骨折をして長期入院を強いられた。暇なので上半身を鍛えたらモテはじめて人間万事塞翁が馬だ。
【例文3】ケガで入院してのちにナースと付き合う事になり、人間万事塞翁が馬だ。

人間万事塞翁が馬の語源

人間万事塞翁が馬』は中国の書物『淮南子(えなんじ)』が出典になっています。

人間万事塞翁が馬』の「人間」とは日本で言う人ではなく中国で言う世の中を意味します。「塞翁」の「塞」は砦、「翁(おきな)」とはおじいさんという意味です。「が」は所有を表す格助詞になります。直訳すると砦の近くに住んでいるおじいさんの馬のお話になります。

その昔、中国の北方に砦があり、そこに占いが得意なおじいさんが住んでいました。ある日、おじいさんが飼っていた大事な馬が逃げてしまいました。近所の人たちはおじいさんを気の毒に思い慰めに行ったところ、おじいさんはうれしそうに言いました。

「このことがきっかけで幸福が舞い込んでくるかもしれない。」

数日後、行方をくらましていた馬がいい馬をたくさん引き連れて戻ってきました。近所の人たちがお祝いに行くとおじいさんが残念そうに言いました。

「このことが災いにならなければいいが」

しばらく経って、おじいさんの息子が落馬して足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがお見舞いに行くとおじいさんは平然と言いました。

「このことが吉と出るだろう」

ある日、おじいさんの国が戦争になり、敵が砦まで迫ってきました。多くの若者は戦争に駆り出され戦死しましたが、おじいさんの息子は足のケガのおかげで徴兵を免れることができました。おじいさんの息子は命拾いをしました。

ここから良くも悪くも災いや幸せは予測できないものという故事成語が生まれました。

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人間万事塞翁が馬」の由来は?

人間万事塞翁が馬と言われる故事成語は、人生には色んなことが起こるから、一々大げさに反応しても仕方がないという意味ですが、この由来をご存知でしょうか。

その昔、中国に塞という国がありました。この言葉は、塞の国に住む親子の話から来ています。親子と言っても子は既に成人しており、親ももう翁、つまり老人の年令になっています。ある時、子が大きくて立派な馬を手に入れました。子はとても喜んで近所の人々に自慢をしていましたが、ある日その馬から落ちて大きな怪我を負ってしまいました。怒った子は馬に対して怒り、またとても悲しみました。こんな馬なんか手に入れなければ良かったと思いました。ところがその数日後、塞は隣国との戦争状態に突入しました。若い男たちは兵に徴収されていきますが、怪我をしている男は徴収されずに済みました。戦争に行かなくて済んだ男は、怪我をしていて良かったと喜びました。そしてこれらの間、親である翁はこの様子を穏やかに笑いながら見つめていました。
この話からは、とにかく子どもの方がコロコロと感情を変えているのが分かります。実際、色んなことに対して鋭く反応していると感情も揺れ動きますが、それに合わせてとても疲れてしまいますね。塞翁が馬とは、こんな風に色んなことが起こっても静かに穏やかに過ごすことが人生を幸せに生きる秘訣だという故事成語なのです。

 

人間万事塞翁が馬でどんな時も、必ず道はある

一つの業界で仕事をこなしてきた中で、事件に巻き込まれて危機的な状況に陥ったり、体力的に負担が大きくなったりして、その仕事を辞めようと思ったことは何度もありましたが、それでも時間と共にそれらは解決していき、結果、20年間同じ業界で務めることができました。
そして、いつしか自分自身に対して確固たる自信が生まれ、「俺はもうめったな事では揺るがない」、そう思えた矢先に、ささいな人間関係の問題で、長年過ごしてきたその業界を去ることになりました。ただでさえ景気の悪い時代に、収入も減り、未来の見えない不安に苛まれる日々。
しかしそうした現実が、今までの生活の中で怠けていた様々な部分を見直すきっかけになってくれました。例えば、毎日の食事を外食やコンビニ弁当で済ますことになんの疑問も持たなかった生活が、少し自炊をすることではるかに健康的な食生活になり、しかも食費もこれまでの半分以下に抑えることが出来るようになったこともその一つ。ろくに使っていなかった車を処分し原付に変えることで、年間の維持費も20万円以上下げることも可能になりました。
それもこれも、人間関係の躓きがなければ考えようとすらしなかったことです。20年勤めたその業界は、実のところ斜陽産業であり、これまでの20年と同様に安定した生活が、今後20年も送れるとは限らない雰囲気が漂っています。そんな中で、これまでどれだけ自分が無駄な生活を送ってきたかを気付かず、例えば10年後に仕事が無くなってから無駄遣いをしてきたことに愕然とするよりも、今は辛くとも、ここで気が付いてよかったのではないかと思えるのです。そして何より、それまで神経を削るだけの仕事から、自分が本当にやりたいことを突き詰められる仕事に出会えた事は、正に「人間万事塞翁が馬」なのではないでしょうか。

売れ残りが拾われた話

フリーのイラストレーターの友人の話です。フリーと言えば聞こえがいいけど、つねに注文があるわけでも売れる店舗があるわけでもなく、ごくたまに催事で出す程度です。これの売れ残った作品を指定のギャラリーに置いていたそうです。
そのギャラリーが急に移転することになった、作品を取りに来て下さいと言われたのですが、バイトが重なって日程が合いません。残り3つだし、では送ってくれますかと言えば、忙しくて無理との答え。そこを食い下がると、送料負担でよければ折り返し連絡しますと。そしてそれっきりでした。
一応は、と友人は悔しげに言うのです。時間をかけて苦労して描いたものであると。それを取りに行けないし送っても貰えないとしたら、引っ越しゴミにでもされるのだろうね。
それも仕方がない、と、もう相手方に連絡もせず放置して5日余り、思わぬところから電話が来たといいます。そのギャラリーに自分の作品を取りに来たら見かけて気に入ったので全部買いたい、ただ、まとめて買うから値引きして貰えないかという話。
本人はびっくりして、引き取って頂けるだけでも有り難いです、ただで宜しいですと言ってしまいました。でもその方はちゃんと値段を提示して、その通りに振り込んで下さったそうです。
まさに大逆転です。しかし自分の力ではどうにもならないところを、良い人に見つけて貰ったおかげに違いありません。その3つはずっと残っていたのにその人が来たときなぜ目についたのかと言えば、ギャラリーは移転のためにその作品を壁から外し、ちょっと目立つ通路側に移動して置いたそうです。


モラハラで離婚、でも良い人に出会った!

私の男友達に、親が再婚している人がいます。本人にきちんと許可を得たので、彼のご家族のエピソードをご紹介します。
彼のお母さんは、若い時に信頼して結婚した相手が入籍をした直後に豹変して、ひどい言葉をたくさんかけられてきたそうです。結婚前は、少しヤンチャではありましたが本当に親切な人だったのに、演技をしていたみたいなのです。
さらにはふだんから奴隷扱いをされて、子育て中でしたが別れようと決意し、裁判で相手と闘った末に離婚しました。プライドがあったので、夫からはお金は一円ももらわなかったそうです。
しばらくシングルマザーで、大変な思いをしてきたようですが、離婚して十年くらい経ってから心の優しい外国人男性に出会い、相手は初婚でしたが息子のこともすんなり受け入れてくれたそうで、今では家族3人で仲良く暮らしています。
彼は再婚相手のご両親の家にも遊びに行き、向こうのおじいさんおばあさんも孫のためにと色々な遊びを用意してくれたいたそうです。新しいお父さんは海外出張が多く、あまり家にはいないそうですが、何か家族が病気になると心配して帰って来てくれたりするそうです。
彼や彼のご両親を見ていると、万事塞翁が馬とはこのことだなあと思います。

油断してしまうと必ず悪いことがおこります

人間万事塞翁が馬という言葉の意味をご存知でしょうか。
人間にとって人生の中で幸、不幸は予測し難く、いつ幸せが不幸に、不幸が幸せに転ずるか、わかりません。
そのため、少しの幸、不幸に対して一喜一憂するべきではないということのたとえです。
この人間馬事塞翁が馬という言葉が一番似合うのは、今まさに甲子園球場で開催されている夏の全国高校野球選手権での試合です。

甲子園は1回負けるとそれで終わりです。
甲子園に出場するチームは全て地方の予選を勝ち進んできており、チームの総合力においては甲乙つけ難い状況であると思います。
ただ下馬評というものがあり、過去の甲子園の実績は率いる監督の采配など、外的な要素はあるものの、それらの外的要素に対して過敏になる必要はありません。
またこれらの下馬評がよいとされてきたチームが9回ツーアウト、ランナーなしから、あれよあれよという間に負けてしまうということもあります。

従いまして、舐めてかかると痛い目にあいますし、途中勝っているからといって、9回の3アウトを取るまでは野球の試合は成立しません。
このように、途中経過が良くても、野球は最後に1点多くとっている方が勝ちですので、きちんと意識をもって、集中力を切らさずに試合に臨むのが必要であると思います。
人間万事塞翁が馬、この言葉はとても身にしみる言葉であると思います。

人生、どう転ぶのか分からない

人間万事塞翁が馬というのは中国の昔の話からきたようですが、簡単に言うと幸せが不幸になったり逆に不幸だと思っていたのが幸せに転じたりするということです。
でも、本当にそういうことは人生に多いです。
例えば、大学進学するときに第一希望は法学部だったけど、受かったのは第二希望の経営学部で最初は落ち込んでいたものの、実際に入ってみると法学部よりも経営学部の勉強は楽しく自分に向いていたということの気づき第一希望に受からなくてよかったということもあります。
ある人は、親の経営した会社がバブルがはじけたことにより経営が傾きだして、実家を継ぐ気はなかったのですが実家に帰ることになりました。
すると、その会社の顧客というのが富裕層の人たちで、その富裕層の人たちから色々な話を聞いてお金に対する考え方や生き方のノウハウをたくさん吸収していきました。
そうすると、実家の会社の経営も上手くいきだし、他にも事業を展開していき好きなことをして生活できるようになりました。
逆に、幸せになったかと思ったら不幸の始まりだったみたいなこともありますよね。
条件が良くて、これから生活に困らないだろうと思って結婚した相手が、実は見栄を張り他人にはお金はたくさん使うけど実生活はケチで生活がカツカツで生活に困らないどころか自由なお金もなく苦しくなったという場合もあるそうです。

どんなことにも一喜一憂するべきではない

人はそれぞれに座右の銘を持っていることがあります。
天才子役として一世を風靡した芦田愛菜さんの座右の銘は「人間万事塞翁が馬」だそうです。
この座右の銘をテレビの番組で紹介するときに、彼女は「じんかんばんじさいおうがうま」と読んだのです。
一般的に知られているのは「にんげんばんじさいおうがうま」という読み方です。
どうして芦田愛菜さんがそう読んだかというと、ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんの座右の銘であると本に書かれていて、そこに「じんかんばんじさいおうがうま」と書かれていたのだそうです。
意味は、良いことも悪いことの始まりだったり、悪いことも良いことのきっかけだったりするのだから、どんなことにも一喜一憂するべきではないというものです。
山中伸弥さんも、初めは整形外科医になろうとしましたが、不器用だったことから基礎研究者に転向をしますが、それもうまくいきません。やはり臨床医に戻ろうとしたことがあったということで、紆余曲折の末の今があるとされています。
こうしてノーベル賞を受賞するような偉大な結果があり、たくさんの人にその福音がもたらされることになりました。
誰しも目先のことに目を輝かせたり、落胆したりしてしまいがちですが、もっとおおらかに生きることが望まれます。

酸いも甘いも噛み分ける

【漢字】酸いも甘いも噛み分ける
【読み】すいもあまいもかみわける
【意味】人生経験を積む事で、世の中の表と裏を知り尽くす。そこから人情に通じ、どのような状況でも上手に対応ができるようになる。
【例文1】彼は自己中心的で酸いも甘いも噛み分けきれない。
【例文2】人生経験が豊富な彼女はどんな人にも酸いも甘いも噛み分ける。
【例文3】社会に出て酸いも甘いも噛み分ける。

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酸いも甘いも噛み分けた魅力 

ある仕事で知り合った派遣社員のAさん。年齢は40代ですが一回りは若く見えます。飛び抜けてスタイルが良い訳ではないが程よく筋肉がついており顔が小さくバランスが良い為、スラリとして見えテキパキ仕事をして頭の回転が速くいかにも仕事できますという雰囲気です。話すと面白い人ですが、どこか淡々としており休憩も1人で外で食事が多く必要以上に周囲と関わろうとしない為、私生活が見えずミステリアスでした。ある時、上司の進捗ミスで本来納期に3週間かかる仕事を1週間で完了させないといけなくなり困り果てた所、Aさんは残業と休日出勤で完璧に完了させ周りはただ敬服するしかなかった事がありました。上司にきちんと説教までして進捗表のテンプレートまで作成し、若い社員に指導。みんな驚く程の業務能力でした。
余り自分の事を話さない人なのでよく知らなかったのですが、以前は大手企業の本社で正社員で働いておりいくつも資格も持っているとか。家庭の事情で辞めざるを得ない状況になり現在は派遣社員をしているそうです。
若くして身内に不幸が続きかなり苦労があった様子。
「隠す訳じゃないけど人は都合のよく弱み見つけて好き勝手言うからプライベートを話すのが面倒なだけ」と言ってました。
酸いも甘いも噛み分けるとどんな状況になっても余り驚かないと言ってました。あの淡々とした態度は性格だけではなく環境もあるんだろうなと思いました。

水魚の交わり

【漢字】水魚の交わり
【読み】すいぎょのまじわり
【意味】水と魚が切っても切れないことから離れられない親密な関係をいう。
【例文1】小学校から水魚の交わりの30年来の旧友と旅に出る。
【例文2】20年の付き合いで水魚の交わりだから言葉にしなくても友人の考えがわかる。
【例文3】地元の友人は離れていても水魚の交わりだ。

水魚の交わりの語源

水魚の交わり(すいぎょのまじわり)とは、水と魚の関係のように離れることができない親密な交際や必要不可欠な間柄。また、主従関係や夫婦、友人と仲睦まじいことの例え。魚は水があってはじめて生きられることからから転じて用いられています。
 
もともと水魚の交わりは中国の『蜀書 諸葛亮伝』を原典とする故事成語です。『三国志演義』の中に出て来る逸話としても親しまれています。

劉備三顧の礼を持って諸葛亮諸葛孔明)家臣に迎えてから、劉備諸葛亮が親交を深めていきました。そのことを古参の家臣である関羽張飛は快く思いませんでした。

劉備関羽張飛に『水魚の交わり』という言葉を出して語りました。
「私が諸葛孔明を得たのは魚が水を得たようなもの。諸葛孔明の軍師としての器量を愛することは、夫が妻を愛おしく思うようなものだ。桃園の誓い交わした私たち義兄弟の契には何も影響しない。」

古代中国では魚は恋人、配偶者の暗喩です。すなわち劉備諸葛孔明は夫婦のような関係で常に一緒にいるのは当たり前。劉備関羽張飛との義兄弟の関係とは別である。そう言った劉備関羽張飛は納得しておとなしく引き下がったとされています。

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水魚の交わり」って何?

水魚の交わり」という言葉は三国志諸葛亮伝に出てくる言葉で、水と魚の関係のようにきわめて親密なつきあいのことを言います。「水魚の親」「水魚の因(ちなみ)」も同じ意味の言葉です。魚は水がなければ当然生きてはいかれません。きわめて親密なつきあいなら傍から見て何も問題ないように思えます。でも、ちょっと待ってください。こういう言葉もあります。「水、清ければ魚住まず」あまりに清廉潔白な人だと近寄りがたく、友人が少ないという意味ですが、水が綺麗すぎると魚の餌になるプランクトンが住むことができないので魚も当然住めません。「水魚の交わり」が市販のミネラルウォーターのように二人の関係性に透明感のあるものならいいのですが、泥水を二人ですするような関係性だったとしたら最悪です。政治の世界でも個人の交友関係が、問題にされる場合があります。二人の関係がずぶずぶの依存関係だった場合、収賄汚職が懸念されでも仕方がありません。「朱に染まれば赤くなる」という言葉もありますし、「類は友を呼ぶ」などという言葉もあります。政治家として国家の運営に携わる者でしたら、襟を正してご自分の交友関係もよく見直してみるべきですね。自分を正しく良い方向へと導いてくれる友人と「水魚の交わり」ができればこれ以上の幸せはないでしょう。

頭を捻る

【漢字】頭を捻る
【読み】あたまをひねる
【意味】あれこれと思いめぐらす。
【例文1】どうすれば親にスマホを買ってもらえるか頭を捻る。
【例文2】売り上げを上げるために頭を捻る。

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頭を捻ることでようやく出た解決策

半年ほど前から親戚の子を我が家で預かるようになりました。うちは夫婦二人で広めかつ二世帯住宅の一戸建てに住んでいますので、実際に生活を始めてみるとお互いプライベートスペースは確保出来ていますからすごく気楽です。預かっているのは高校生の男の子なのですが、まさに文武両道で賢く、良い高校に進学するために我が家にやってきたわけです。中学時代は生徒会長をこなしていて、まさにエリートな感じの子です。
とはいえ、彼がここにやってくるには相当頭を捻るような時間があったと言っていました。彼の親御さんは普通の家で、東京の学校に出すほどの余裕は無いとのことです。優秀なので奨学金やさまざまな制度を活用出来ますが、寮生活だと金銭的には厳しいと。そこで、彼自身すごく悩んだそうです。そのくらい行きたい高校だったんですよね。
そして、頭を捻ることでようやく出た解決策が我が家でした。うちは二人とも自営業なので、その手伝いをすることで何とか狭い部屋でいいので一つ貸してくれないのかということでした。驚くことに、私達の仕事を知って独学で練習したそうです。即戦力になるレベルでした。この情熱を買って今回の計画を了承したのですが、これだけ能力があるのに頭を捻らないと解決しないのですから、環境の違いは重要ですね。

上司のえこひいきに頭を捻る

わたしの部署の上長は基本、決まった人としか接しません。
飲み会はもちろんのこと、会話すら決まった人以外とはしません。
まあ別に困らないし、なにか話したいわけでもないし、全然今の状態に不満はありません。
仕事上の絡みもないし。
先日、わたしと同じ業務をしている同僚が退職することになり、課内で送別会をしました。
とても楽しくちょっと寂しい素敵な送別会でした。
が、その送別会とは別に上長の仕切りで部内の様々な課から自分のお気に入りだけに声をかけて送別会をしていたのです。
別にわたしは気に入られていないことはわかっていたけれど、あまりいい気持ちはしないものだと感じました。
誘われた人と誘われていない人にどのような差があるのか、なんだかとても寂しい気持ちになりました。
退職する同僚は、自分の課内の人が一人もいないことに疑問を持ちつつも、送別会を開いてくれたことには喜んでいるようでした。
退職する同僚が喜んでいたのでオールオッケーなのですが、誘われなかったその他の同僚は正直な話もやもやするし、上長のえこひいきに頭を捻る人もいました。
上長も人間なので好き嫌いがあるのは当然ですが、やはりえこひいきされない側はしんどいですよね。

引導を渡す

【漢字】引導を渡す
【読み】いんどうをわたす
【意味】諦めるように最終宣告をする。
【例文1】君に彼女は釣り合わないと引導を渡す。
【例文2】君には才能はないと引導を渡す。

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お局様に引導を渡す

それはそれはもう鬱陶しいお局さんがいました。
彼女はとても長く勤めていて、社のことはなにもかも知り尽くしている、まさにお局様でした。
「ここの女子はみんなサバサバしてっからね!」と言うのが彼女の口癖でしたが、自席に着席していることがほとんどなく、いつもどこかで誰かと立ち話をしているお局様。
彼女を中心に「サバサバしてる女子たち」は実は噂話のオンパレードでした。
席替えがあれば「あの席の配置だと誰それさんはたぶん近いうちに異動待ったなしだね」
「誰それさんがやめるらしいよ」
「誰それさんと誰それさんは付き合ってるっぽいんだけど」
お気に入りの子は〇〇ちゃんと下の名前にちゃん付けで呼び、お気に入らない人は〇〇さんと苗字呼び。
お気に入らない人が着席していない時は、その人には差し入れやお土産をあげない。
そして「サバサバした女子たち」はもちろんそれに従います。
どこがサバサバしてんだよと思っていましたが、そんなお局様の一強時代に終焉が見え始めました。
お局様に引導を渡すことになる人が現れます。
それはなんと派遣社員。もちろん新人です。
仕事ができ、綺麗で謙虚な彼女に派閥ごともぎ取られ、お局様は退職してしまいましたとさ。

慇懃無礼

【漢字】慇懃無礼
【読み】いんぎんぶれい
【意味】言葉や態度があまりにも丁寧だと形式的な受け答えでかえって無礼であること。
【例文1】クレームの電話を入れたが、慇懃無礼な話し方だ。
【例文2】接客のマニュアルが慇懃無礼だ。

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航空会社の対応にいつも感じていた「慇懃無礼

私は旅行会社の添乗員として長く勤めていたので、観光関係の人と接する機会が多くありました。主に海外の添乗をしていたので、航空会社、ホテル、現地の旅行会社、レストラン、お土産屋さんなどとの接点が多かったのですが、何かトラブルがあった時に本当の顔が出てくるもので、海外にホテルなどは、言葉の問題もあるのかも知れませんが、謝罪する時はきちんとホスピタリティを感じる事が多かったものです。おそらく、海外のホテルなどは滅多な事では謝ったりしないので、謝る場面があれば、それはかなり重大なミスであり、心がこもっていたので、素直に受け止められたのだと思います。問題は日系の航空会社、もしくは日系の航空会社がハンドリングしている航空会社の対応で、チェックインに時間がかかったりミスがあったり荷物に破損があった場合でも、明らかに表面上で対応していて、それでいて作り笑顔をバカ丁寧な言葉遣い、いつも頭の中に「慇懃無礼」という熟語が浮かんでいました。いくら丁寧に対応している「風」でも心がこもっているかどうかは、馬鹿じゃないのでわかるものです。私自身もお客さんと対応する時に、丁寧な言葉遣いは必須ですが、慇懃無礼な態度だけはしないようにと心がけていました。

慇懃無礼な態度の上司に閉口

以前、勤務していた職場で人事異動があり、あまり良くない噂の人が上司になりました。
私よりも2つくらい年上だったのですが、最初の挨拶ではかなり低姿勢で言葉も、そこまで丁寧にしなくても良いという口調でした。

私はその言葉使いがあまりにも丁寧過ぎたことから、このような態度は長くは続かないだろうと思っていました。
案の定、少しずつ化けの皮が剥がれたように、慇懃無礼な態度に変わっていきました。

その上司の良くない噂が具体的にどういうものなのかを知らなかったのですが、最初の頃はそのようなそぶりも見せませんでした。

その為、表面だけを見ていた他の人は、「噂のような人ではなくて良い人だ」と言っていました。
私は最初のうちはその人の本心がわかりにくいと思い、しばらく様子を見ることにしました。

そして、仕事に慣れてきた頃に、その上司も他の仕事でもいそがしくなってきたこともあり、イライラした態度を見せるようになりました。
自分のキャパを超えた仕事を無理してやろうとしていたようです。

そのイライラした怒りが、高圧的な態度と発言で、私たちの方にやってきました。
かなり嫌な気分でしたが、それが度々続き、中には泣き出してしまう人もいました。

やはり最初から慇懃無礼な態度がにじみ出ていたような気がします。

因果を含める

【漢字】因果を含める
【読み】いんがをふくめる
【意味】やむを得ない状況を説明して納得させる。
【例文1】因果を含めて娘にその男との結婚を諦めさせる。
【例文2】無職の男は駄目だと交際は因果を含める。

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因果を含めることでようやく理解してもらえました

少し前、家族の中で姪っ子のことが話題になりました。新米社会人として頑張って働いているのですが、付き合っている彼氏に問題があったんです。彼氏はフリーターとのこと。今の時代そんなのは珍しい話ではありませんので、これに関してはみんな理解をしています。しかし、ネットワークビジネスをしていたり、それを姪っ子にも買わせたり。肝心の仕事もあまり行かないで、週に2回ほど働いただけで疲れたと言ってイライラするそうです。正直、これではみんな交際に賛成出来ませんよね。
姪っ子もそれが何となくわかっていたのでしょうけど、姉が強く言ってしまったために余計に頑固になってしまいました。すると、交際相手のことだけではなく、どうして口出しをするのだと他のことでも怒るようになってしまったんです。そこで、私達夫婦が呼ばれました。
数時間の因果を含めることになりましたが、ようやく理解してくれて、その場で別れると伝えてくれました。この時、姪っ子を軽視するような言葉を吐いていましたので、それでようやく目が覚めたようです。恋愛関係は本人にしかまたわからない気持ちもありますが、周りのアドバイスもまた重要。あまりにも外れすぎている場合は、因果を含めることをしてでもしっかり話し合うべきだと思います。 

因果応報

【漢字】因果応報
【読み】いんがおうほう
【意味】良い行いをすれば良い事があり、悪い事をすれば悪い報いがかえってくるもの。会話では悪い意味に多く使う。
【例文1】彼の不運さは今までの言動からしてみると因果応報としか言いようがない。
【例文2】太ったのは運動不足で因果応報だ。

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因果応報 

高校生の時、同じ学年でいじめられている子がいました。私はA組で、向こうはF組。ちょうど端っこ同士ですしわりと大きな学校だったので普段見かけることはありませんでしたが、噂はよく聞いていました。三年になってからいじめがスタートしたそうです。同じ部活にF組の子がいたのですが、どうもいじめっ子は地元でも大きな会社の社長令嬢だったそうで。地元は工場が多く、そこに関わっている会社なので誰も手が出せない状況にあったみたいです。
その後、いじめっ子グループは地元の大学に進学。いじめられっ子は就職のため上京しました。しかし、この関係性が大きく変わることになります。親の会社の倒産ですね。そして、裏で色々やっていたこともバレてしまったわけです。地元では有名な会社だったからこそ、そこにはいられないようになってしまいました。今までずっと一緒にいたいじめられっ子のグループもみんなすぐにいなくなったそうです。
私が彼女を見かけたのは、地元のスーパーでのこと。駐車場に猫がいたので追いかけてみると、バックヤードの入口付近で先輩らしき人から理不尽に怒られている彼女を見かけました。正直可哀相だと思う気持ちはありません。それを見て因果応報というのは本当にあるんだなぁと笑ってしまいました。

因果応報ってどういう意味?

因果応報とは、良いことをすれば良いことがあり、逆に悪いことをすれば悪いことが起こるということです。
元々は仏教の教えで、行為の善悪に応じてその報いがあることを意味しますが、現在では悪い意味で使われることが多いです。
子供向けの絵本には因果応報を書いている物がたくさんあります。
例えば有名な話では、「金のオノ銀のオノ」や「ウサギとカメ」などがあります。
正直に言えば良いことがあったり、一生懸命頑張れば良い結果が出るけれども、サボると結果は悪くなるという因果応報そのもののお話です。
正しい行いをしていれば良いことがある、悪いことをすると罰が当たるなど、小さい子どもの教育にもよく用いられる言葉ですね。
道徳教育の根本はこの因果応報の考え方だと言えます。
また、大人になってからの日常会話の中で因果応報という言葉を使うときはだいたい悪い意味です。
仕事を手を抜いてしていたからクビになった、スピード違反をしたから免許停止になったなど、ほとんどが悪い意味の因果応報ですよね。
このように、日常的には悪い意味で使われるのはことが多い因果応報という言葉ですが、元々の意味には悪いイメージはないということを覚えておくと良いですね。

異を唱える

【漢字】異を唱える
【読み】いをとなえる
【意味】反対意見を言う。
【例文1】彼だけ異を唱えたが、却下された。
【例文2】異を唱えても無駄。

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唯一企画に異を唱える上司

以前働いていた会社では、みんなから嫌われている上司がいました。企画関係の仕事なのですが、提案された企画に対して必ず異を唱えるからです。それも、他のみんなが良いと言っているのにただ一人だけ。この方は当時40代の女性でヒステリーだの影では色々と言われていました。男女からすごく嫌われていたのです。確かに、自分の企画や提案に対して異を唱える人がいたら、やっぱり良いようには思いません。ちょっと抵抗を感じるかもしれません。しかし、仕事の面で見てこれは間違ったことではありません。
というのも、この上司はただ難癖をつけているわけではなかったからです。その企画の脆いところ、もっと改善出来るところなどをついていきます。その企画に対して褒めるだけならば仕事を知らない新入社員だって出来るでしょう。しかし、問題点をしっかり見つけるというのは、仕事が出来るからです。やはり言い方とかもありますので周りからは受け入れられませんでしたが、実際にはとても仕事の出来る人だったわけです。
今はお互いフリーランスになっていますが、彼女から学ぶことは今もたくさんあります。若い内、こういう方に出会えたのはラッキーなことでした。

意を決する

【漢字】意を決する
【読み】いをけっする
【意味】思い切って決心する。
【例文1】今夜、彼女にプロポーズすると意を決した。
【例文2】意を決っして転職する。

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意を決するおもいで断ち切る

意を決するとは思いきった決断をすることです。
わたしは性格上、人に流されるタイプでAさんがこれにしようといえばいいよ。
Bさんがこっちの方が似合うよと言えばそういう風に見えてきて周りの意見が重視でした。
さすがに結婚相手は自分が決めましたが、結婚生活で親になって今度はわたしがこうした方がいい。こっちの方がうまくいくと主導権は私が握っていました。
可愛いわが子ですもの。可愛いわが子には旅をさせよと言いますが、失敗するようなことはさせたくないというのが本音でした。

大事に育ててきた息子たちは病気やケガもなくプライベートでも順風満帆に過ごしました。社会人になって2年目。二つお隣の市街地に勤務場所が変更になりました。実家からは車で1時間40分かかります。長男は交通時間を考え、職場に近いアパートで一人くらいを考えていると意を決する思いを聞かされました。大学は地元の私大でしたので実家通いでした。料理はたまに目玉焼きや肉を焼くくらいはします。(皿洗いは一切しません)出張先で洗濯もしていて家事は不便なさそうですが、これを仕事帰りに全部一人でこなすとなるとコンビニ弁当ばかりになるし体が心配でした。結婚資金も貯めたいと言っていたのでとりあえずしばらく実家通いを進めましたが、意思は固いようでしたので、私も夫もしまいには意を決する想いで承諾しました。

 

修羅場

【漢字】修羅場
【読み】しゅらば
【意味】激しい争いの場面。
【例文1】夫婦喧嘩の修羅場に遭う。
【例文2】遺産相続の修羅場に遭う。

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色々と修羅場はあるものです

修羅場という言葉の意味はどのようなものでしょうか。
意味は、血みどろの激しい戦いや争いが行われる場所のことを言います。
「修羅場をくぐり抜ける」という言葉もよく聞かれると思います。
私は大学生の時に、少し修羅場をくぐり抜けたことがあります。
当時、付き合っていた女性がいましたが、たまたま部活の女性の後輩が遊びに来る約束をしました。
その付き合っていた彼女には、自分は体調が悪いので、遊びに来ないように行っていたのですが、自分の体調の悪さの心配してか、部活の後輩は遊びに来ているときに、その彼女が玄関まで来てしまいました。
特に、私は部活の後輩と浮気をしていてわけではありませんし、そういう関係もありません。
一緒に食事を作って、その後映画をみていたのですが、ここで玄関のドアを開けると、変に誤解をされて、どうにもならないと思った私は、居留守を使いました。
何度も、何度も、呼び鈴が押されましたが、10分くらいして諦めて帰ったようです。
この10分間はとても恐怖に感じたことを今でも思い出します。
このことがきっかけに彼女と私の仲が悪くなり、結果、別れることになりました。
結局、彼女は私のことを信用してくれていなかったということですが、この10分間の恐怖は修羅場のような感じをうけました。

修羅場とは

「修羅場」とは、激しい血みどろの闘争が行われている場所や、またはそのような場所を連想させる状況のことを言い、語源はインド神話で「修羅」は悪神である「阿修羅」を略であり、善神である帝釈天の激しい血みどろの戦いが行われる場所のことを「修羅場」というようになりました。日本では痴情のもつれが原因の争いの時に用いられることが多いです。
使い方としては「数々の修羅場をくぐり抜けた経験が今の自信となっている。」「旦那の浮気が原因で夫婦間で修羅場が繰り広げられている。」などの使い方をします。
私自身は修羅場に出会ったことはありませんが、友人は友達とショッピングモールに出かけた時、当時の彼氏が知らない女性と歩いていてその場で問い詰め小さな修羅場になり結局そのまま別れてしまったと話していました。
そのように日本では浮気などが原因で修羅場に発展すると言った場合が多いようです。もちろん友達同士でのいざこざでも修羅場になることもあります。大なり小なり修羅場を体験したことでそれがのちの経験となるのであれば無駄ではありませんが、修羅場になるとそのまま疎遠となる場合の方が多いので、出来れば修羅場には出会わないような生活を送るに越したことはありませんね。

男女の修羅場とはこのこと

今や人の親になった私にも、それなりに若い頃がありました。当時私は19歳、あと2カ月で20才の誕生日を迎える冬に、人生初の彼氏ができました。ルックスのよくない私でも彼氏が作れたのは、当時はやっていた出会い系サイトのおかげでした。正直恥ずかしいのであまり人には言えませんでしたが、相手のことが大好きというよりも、彼氏ができたことのうれしさと、当時学生立ったけど学業がうまくいかず留年することになっていたので、半分自暴自棄なこともあり、恋愛する事で逃げていたのかもしれません。
彼は22才の大学生でしたが、私の寮から少し離れた街でひとりぐらしをしていて、雪ふる寒い中毎日のように、電車にのって遊びに行ったり、車で迎えにきてもらい、初めてのお付き合いは順調に思えました。
しかし、1ヶ月を過ぎて、何だか彼がいつも携帯電話を肌身離さないのに、違和感を感じました。
そしてバレンタインの翌日、ショックな出来事があったのです。
彼が眠っているすきに、彼の携帯電話(ガラケー)をこっそり、覗いてみたところ、彼が別の女性に「別れたくない、俺には〇〇が必要なんだよ」などとメールしてるではありませんか。一通でなく何通もありました。ただ、2人はもめていて、さらに悲しいことに、そこにある内容によると、どうやら私が浮気相手らしい。
もうそこからは修羅場でした。彼をたたき起こして「これってどういうこと?!私をだましてたの?」と怒り狂い、彼はゲッ!という顔をしてましたが、あまりの私の変貌ぶりに全く話さなくなってしまい、私は怒りのあまり相手の女にメールか電話しなさいよ!などと話しましたが取り合ってもらえず。
夜中だったのでその日は何とか彼の家を出て、友達に泣きついて泊めてもらいました。 
もちろんその後お別れしました。ある意味今ではいい思い出ですが、娘たちにはあんな男性に気をつけてほしいです。

言わぬが花

【漢字】言わぬが花
【読み】いわぬがはな
【意味】言わない方がいいときもある。
【例文1】その話の先は言わぬが花だ。
【例文2】ガン告知は言わぬが花だ。

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言わぬが花を高確率で実感する人生

私は昔から余計な事を一言言って空気が大変な事になったり喧嘩になったり、というのを高確率でやらかしがちでした。

まあなんていうか、とても面白い事を言おう言おうと普段から考えている物だからそれでヒットする事も珍しくないです。
狙い通りの笑いが取れた時などにその気分は最高潮になりますが、そこまで行かなくともその場の雰囲気の盛り上がりの一助になれればまあ成功したという達成感はあります。
で、それが最悪のファンブルと言う形で失敗したのが冒頭に挙げたような例です。

普通の会話を歩いたり小走りとしたら、面白い事や変わったジョークというのは捻りを加えたアクロバットとかそういうものです。
それだけに失敗した時のケガも致命的なものになりやすくなる道理です。
そんなわけで、学生を卒業したあたりにはいい加減こういった性質を収めるべく「言わぬが花」を座右の銘に据えることにしたんです。

その甲斐あってか失言を原因とした大事件と言うのはその発生頻度が相当に抑えられました。
が、ゼロにはなりません。
この場で絶対に言ってはいけないと分かっている事ほど言うのを我慢するのが難しいんですよね。

まあそんなわけで、これからもより一層壁の色紙に自筆で書いた「言わぬが花」を肝に銘じていこうと思います。

言葉にするより言わぬが花

たとえば友人と何かの作品について語り合っているとしましょう。話題の映画やドラマについての感想を述べる、といったことですね。「どのようにすれば自分の考えが相手に上手く伝わるか」を重視すれば、論理的に説明するのがベストだと考えられます。ですがだからといって、ずっと論理的に説明していると、相手は退屈してしまうかもしれません。考察や論文を書いているわけでないのですから、多少は穴のある説明でも良いでしょう。感想というのは自分の感じたままを、たとえ上手く言葉にできなくても伝えるというのが良いのではないでしょうか。むしろその方が人間味があって、聞き手側としても感情移入しやすいと思われます。

何事もとは言いませんが、自分の考えていることはなるべく言葉にした方が、余計な誤解を生むことも減るかもしれません。しかしあえて言葉にしないことで風情が出ることもあります。特に日本は「感情を省くこと」を楽しむ文化が発達している国です。川柳や俳句が『世界で最も短い詩』と言われているように、言葉を省くことで作品を仕立て上げます。言わぬが花ともいうように、自分の考えを明確な言葉に残すのではなくあえて口には出さないことで、相手に面白味を感じさせるのも良いかもしれません。

弱冠

【漢字】弱冠
【読み】じゃっかん
【意味】20歳の男性を指す。近年は20歳前後の男性にも言うようになった。若干と多く間違われる。
【例文1】弱冠20歳の若さで結婚した。
【例文2】弱冠20歳の若さで起業する。

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弱冠は20歳限定とは言えない

弱冠20歳でという言葉は聞いたことがありますが、必ずしも20歳が限定ではないようです。
言葉は時代とともに言葉は変化していくので、以前は20歳限定で弱冠と言っていたのかもしれません。

おおむね20代までのことを弱冠といっても良いのではないかという気がします。
とは言え、職種や業界などにより、若年層が変わってくるので、中には20代で既にベテランという場合もあるかもしれません。

将棋や囲碁の世界では、中学生の頃からすでにタイトルを取り、プロになる人もいます。
まさに弱冠と言える年齢です。

一般の社会人とは違い、特殊な世界では、実力のあるものが上に登っていきます。
そのため、社会的な経験や常識が優れているというようなことで測れない部分があります。

とは言え、やはりその世界での早咲きで、弱冠と呼ばれる人たちには、やはり類まれな才能があるのだと思います。
もちろん努力もたくさんしてきているとは思いますが、やはり才能がなければ、早いうちから目を出すことは難しいかもしれません。

周りの環境にも恵まれていたかもしれません。
その道でそれがネイティブのように育ってきたならば、やはり早くから開花していくのでしょう。

今後もいろいろな世界で弱冠デビューする人が出てくることを期待したいです。

鰯の頭も信心から

【漢字】鰯の頭も信心から
【読み】いわしのあたまもしんじんから
【意味】イワシの頭のお供え物でも信ずる気持ちがあれば尊いものである。
【例文1】初めて彼女が作った手料理は決して美味しいとは言える物ではなかったが、鰯の頭も信心から愛情がこもっている。
【例文2】子ども達からの募金は鰯の頭も信心からで真心がある。

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鰯の頭も信心から

鰯の頭も信心からとういう言葉があるそうです。
私は知らなかったのですが、意味はイワシの頭のようなつまらないものでも信仰をすれば尊いものになるということで、信仰心の不思議さをたとえているらしいです。
世の中には色々な人がいるので、いろいろな宗教や信仰があり、また神なんていないと思う人もいます。
今の日本では信仰心というのは比較的少ないように感じますが、どんな人でもここぞというときは神さまや仏さまというものに救いを求めることはありますよね。
とくに受験だったり、日ごろは神社に行かない人でも合格祈願のお守りをいただいたり、安産祈願など命に係わる時もお祈りしたりしますよね。
やっぱり、人って強い時もあるけど弱い部分はありますよね。
なので、最後は神という存在を求めるんですよね。
それがいけないというわけではないし、むしろ私は人智を超えた存在に敬意や畏れは大事なように思います。
そうすることで、傲慢さを持たずに人間なんてしょせん動物の一種で自然にはかなわないということを感じられると思うのです。
昔から、日本では八百万の神と言って、身近なものから山や海などたくさんのものに命が宿っているという考えはとても素敵ですよね。

鰯の頭も信心からと思うことはよくあること

人というのは不思議なもので、信じる気持ちがあればどんなものでも尊く見えてくる生き物です。歴史の中に出てくる有名な偉人であっても、占い師からの助言で奇妙なものを信仰していた、という人だってたくさんいます。学生時代に日本史や世界史を勉強していて「どうして昔の人はこんなものを神と崇めていたのだろう」と疑問に思ったことがある人もいるかもしれません。ですが現代の人だって、様々なものに信仰を寄せているのではないでしょうか。

信仰を寄せるというと仰々しいかもしれませんが、意外と些細なものに信仰を寄せているように思えます。たとえば受験のシーズンになると、食品会社が合格祈願とかけあわせた商品を発売しますよね。そしてそれらの商品は毎年、売り出されています。毎年売り出されているということは、つまり毎年需要があるということです。ではどんな人に需要があるのかといえば『合格したいと願っている人』ではないでしょうか。その商品を買ったからといって、必ずしも合格するわけではありません。それでも買うということは、その商品に信仰を寄せているということに他ならないでしょう。鰯の頭も信心からともいいますが、このようなことは多々あることだと見受けられます。何かに気持ちを寄せることで少しでも楽になるのなら、小さなものに少しだけ頼ってみたって良いかもしれませんね。